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大村秀章はやはり馬鹿だった

【愛知】大村知事「明確にヘイト。中止させるべきだった。法的措置も」 反移民団体の朝鮮カルタ展示イベントに不快感



 皆さんは大村秀章愛知県知事の反応をいかが思われましたか?私は救いがたい愚かな反応だと思いました。県が主催したあいちトリエンナーレ。この中で行われた表現の不自由展で昭和天皇陛下の御真影をバーナーで焼き土足で踏みにじった作品、特攻隊の遺書を集めかまくらにし「間抜けな日本人」と侮辱した作品、福島原発事故を揶揄し被災者を愚弄した作品、捏造慰安婦像などかわいく思えるほどの日本と日本人に対する憎悪をむき出しにした最悪のヘイト作品を展示しておきながら、まともな日本人から抗議の声が上がると「表現の自由」を大義名分にし展示を強行しました。

 それどころかあれほど皇室を侮辱しておきながら平然とこの前の即位礼正殿の儀に出席するなど、どこまで面の皮が厚いのか?恥を知らないのか?と世間を驚かせました。半島由来の血は争えないというところでしょう。

 日本への最悪ヘイトを「表現の自由」で押し通すのなら、全く逆のケースである在日朝鮮人へのヘイト作品も認めるのが筋。どんなに嫌であってもね。なにせ大村や津田らが主張する芸術なんですからwww桜井誠氏はよくそこを突いたと思いますよ。自分たちは日本へのヘイトを行っておいて、逆に自分たちへのヘイトは許せないなど世間で通るはずがない。しかも桜井氏のあいちトリカエナハーレ表現の自由展(ネーミングもなかなか面白い♪)には公金は一切投入されていない。どちらが悪質か普通の常識ある者なら分かります。嫌なら見るなと言う事ですからね。

 この件に対する大村の正しい反応は沈黙。しかし予想通り火病ってきました。民族の血は争えませんな。論理的行動ができない。桜井氏も大村の反応は予測済みでしょう。そしてこの問題はあいちトリエンナーレの是非にも発展する。大村が沈黙していれば、もしかしたら世間も忘れてくれるかもしれなかったのに、永遠に炎上し続けます。

 悪いことをしたら必ず天からしっぺ返しが来る、まさに因果応報です。大村と津田の末路は悲惨なことになるでしょうね。即位礼正殿の儀で起こった数々の奇跡、瑞兆。日頃神仏を信じないものでも日本は神の国だと改めて思ったことでしょう。大村、津田に代表される反日パヨクと在日勢力よ、あまり日本を舐めるなよ。天照大神をはじめとする八百万の神々、そして日本国民はお前たちの卑劣な行いに怒り心頭だ。神罰はもとより国民の怒りを思い知るが良い。

 日本に仇なす連中の身に何が起こるか、信じられないほどの凶運が降りかかるかもしれませんね。我々は日ごろの行いを正して、極悪人どもの悲惨な末路を冷静に眺めましょう。早ければ今年の11月以降、半島から凶兆は始まると思いますね。そしてそれは日本国内の在日や反日パヨクにも確実に波及する。まあ具体的にはGSOMIA破棄と米韓同盟破棄、在韓米軍撤退ですが…。

 朝敵である反日パヨク、在日どもは事の重大性を全く理解していないようですが、我々心ある国民もその際は日本国内の大掃除に立ち上がりましょう!悪は絶対に許さない!!!
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ツラギ島に戦略的価値はないと思うんですが

ツラギ島周辺図



 戦史に詳しい方ならツラギ島が大東亜戦争の激戦地ガダルカナル島の対岸にありガ島のルンガ岬、サボ島とちょうど三角形の位置にあるとご存知だと思います。このあたりで飛行場の適地はガダルカナル島のみ。鉄底海峡を挟んだ対岸のツラギ島には良港も飛行場を建設するための平地もなく、海軍の二式水戦部隊が駐留していました。私はツラギ駐屯の海軍航空隊部隊に詳しくないのでもしかしたら偵察・哨戒のための飛行艇部隊もいたかもしれません。

 そんなところに支那人民解放軍との関係が疑われる支那企業(国営だから間違いなく関係あるでしょうが…)が、ツラギ島全体を賃貸契約したとのこと。私は率直に言っていったい何の意味があるのだろうかと疑問に思いました。

 というのも日本海軍がソロモン諸島に進出したのは米豪遮断作戦の一環。ガ島に基地を作ってそこから二式大艇を飛ばせば米豪連絡線を遮断できるからです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、二式大艇は米軍も認める世界最優秀の大型飛行艇。465㎞/hの高速と爆弾・魚雷最大2トン搭載できました。航続距離も7000㎞以上あり、こんな飛行艇が跳梁跋扈していればアメリカの輸送船団はおいそれとソロモン海域に近づけないでしょう。

 ですから米軍は海兵隊2万とおびただしい艦船、航空機を投入してガダルカナル島奪還作戦を実行したのです。ガ島を中心としたソロモン海域が日米の激戦地となったのは周知の事実。ところが現在この地にいくら人民解放軍が基地を造っても戦略的には全く無価値だと思うんですよ。現代は航空機もあれば潜水艦もある。人工衛星を通じての通信もできるので意味があるようには思えません。さらに偵察機を飛ばしても、アメリカ海軍の方が強すぎるので対空ミサイルかF/A-18E/Fスーパーホーネットで撃墜されるのがオチ。もう少し時間がたつとF-35Bも出てきますよ。支那のなんちゃってステルスで対抗できるはずがない。Su-35ならある程度嫌がらせできるとは思うが、メンテナンスを人民解放軍ができるとはとても思われない。2次大戦時の米軍は予備の航空エンジンやメンテナンス部品を大量に用意しちょっとでも故障したらその部品を捨てて新しいものに付け替えるという贅沢な整備をしていたくらいです。チート国家のアメリカだからできたこと。支那人民解放軍には無理でしょう。

 南シナ海は、日本を含めシーレーンの大動脈が通っているので基地を置く意味もあるんですが、今更ソロモン諸島に基地を造っていったい何をしたいんでしょうか?水深が深いと言っても港湾施設は無きに等しいので大規模な工事が必要ですよ。現状アメリカやオーストラリアに対する嫌がらせ以上の意味はない。

 支那が苦しくなって色々足掻いているんだろうなとは想像できます。皆さんはこのニュースどのような感想を持たれましたか?

リシャット構造はアトランティスか?

リシャット構造


 タイトルで超古代文明好きを騙し釣るというのも心苦しいので、最初に言っておきます。伝説のアトランティスとは全く関係ないと思います。ですからオカルト好きとか超古代文明ファンはスルーしてください。がっかりするだけですから。

 ネットで見たんですが、アフリカ大陸西北部モーリタニア中央部に存在する巨大な環状構造リシャット構造が伝説のアトランティスの首都と同じ大きさで、この地が伝説のアトランティス大陸ではないかと推定した動画がありました。皆さんもグーグルマップですぐ見つかりますのでご覧ください。

 伝説のアトランティスの都は環状都市で周囲に水をめぐらせ直径24.5㎞あったとされます。サハラの目と言われるリシャット構造も中心部は約24㎞、ここからアトランティスは大洪水で水没したのではなく逆に隆起し、気候変動で砂漠化したため滅亡したのではないかと考える人が出てきました。

 最初は私も非常に興味を持ちました。発見当初隕石の衝突でできたクレーターではないかと言われましたが、調べてみると隕石特有の鉱石がない事、直径に比べ深さが浅すぎることから否定されています。標高100m~200mの高台の中に100mほどの山と窪地が同心円状に広がり何とも不思議な形をしていますが、現在では山を形成するのがカンブリア紀の固い岩石であり、ドーム状の隆起運動で形成されたと考えられています。同心円状の不思議な形になったのは長年の風化によるものだそうです。

 もし伝説のアトランティスの首都だとすると、何らかの人工物が存在しなければいけませんが、発見されたという話は寡聞にして聞きません。ですから現状は自然が作った不思議な地形という認識です。それにしても本当に面白い形をしていますね。「砂漠のアトランティス」と呼ばれたオマーンのウバール都市遺跡から始まった関連話もこれでひとまず終わりです。

 ただ最後に夢のある話を一つ。現在では広大な砂漠になっているサハラ砂漠も古代の一時期(12000年前)には緑が広がる楽園だったそうです。人類もそこに住み野生動物を狩って生活していました。その様子が壁画に描かれています。9000年前頃には気候変動で砂漠化が進んだそうですが、伝説のアトランティスが滅亡したと言われるのもこの頃。広大なサハラ砂漠がかつて豊かな緑が広がる楽園だったという伝承が古代エジプトに伝わりアトランティスの超古代文明という話に変わっていったのかもしれません。

 皆さんはいかが思われますか?

佐野天徳寺の人物評

 学研の隔月刊『歴史群像』は私の愛読書の一つです。その創刊号かそれに近い号に印象深いエピソードがあります。

 下野国(現栃木県)佐野地方に佐野氏という戦国大名がいました。関東屈指の名城唐沢山城を擁し鎌倉時代から地頭として勢力を維持し小さいながらも侮りがたい勢力となります。戦国時代から江戸初期にかけて佐野房綱という人物がいました。出家して天徳寺宝衍(または了伯)。佐野氏13代泰綱の子に生まれ15代で兄の昌綱に仕えます。昌綱の子宗綱とは仲が悪く一時は出奔したこともあったようです。

 その後帰参した房綱は、佐野氏の重鎮として宗家を支え外交を担当しました。この地は戦国大名の争奪の的となり房綱は小田原の北条氏、越後の上杉氏、甲斐の武田氏の間をうまく泳ぎ切り佐野氏を存続させます。後に天下人となった豊臣秀吉といち早く誼を通じたのも房綱でした。

 小田原北条氏の末期、佐野氏は北条氏の圧力に屈し戦死した当主宗綱に子がなかったため北条氏康の六男氏忠を養子に迎え佐野氏家督を継がせざるを得なくなります。反北条派だった房綱は佐野氏を離れ豊臣秀吉に仕えることとなりました。人生何が幸いするか分かりません。秀吉の小田原攻めに参加した房綱は、皮肉にも唐沢山城攻めを命じられます。房綱は唐沢山城を奪還、秀吉に佐野氏家督継承を認められました。

 房綱には男子がなかったため秀吉家臣富田信吉を婿養子に迎え天正20年(1592年)家督を譲り隠居します。慶長6年(1601年)死去。房綱は佐野氏の外交を担当したため上杉謙信、武田信玄に拝謁したことがあったそうです。

「謙信公、信玄公は威が強すぎて顔を上げられなかった。しかし秀吉公は気さくに私を呼び寄せられ肩を抱くようにして『お主が天徳寺か?よく存じておるぞ。これからもわしに仕えて励め』と親しげに接してもらった。これが天下人の器なのだと思った」

と後に述懐します。

 秀吉得意の人心収攬術なのでしょう。人たらしの面目躍如というところなのでしょうが、田舎大名に過ぎない房綱は感動したんでしょうね。秀吉はこの手で信濃の真田昌幸や陸奥の津軽為信の心も掴んでいます。津軽為信などは秀吉の死後家康に従いますが秘かに秀吉を祀り日々冥福を祈っていたそうですから可愛げがありますね。さらに為信は関ヶ原で敗れた石田三成の遺児も匿っています。為信は陰険な策謀家というイメージが強いですが、そんな一癖も二癖もある人物の心を掴むのですから、佐野天徳寺の言う通りやはり秀吉は天下人の器なのでしょう。

プント国

プント国


 世界史マニアック話が続きますが、これも紅海・インド洋交易関連話です。一般の方は全く興味ないと思うのでスルー推奨です。

 世界地図やグーグルマップを見ていただくと分かる通り、エジプトは国土のほとんどを砂漠が占めます。ただ世界有数のナイル河の流域だけは緑が広がり、地中海に注ぐ河口域所謂ナイルデルタ地帯は豊かな農耕地帯になっています。この地域に人類が住み始めたのは1万年以上前だとも言われますが、シリア発祥の小麦栽培を通じて大人口を形成、紀元前4200年ころにはエジプトの原始王朝が始まったと言われます。

 文明の条件は効率的な食糧生産、大人口、金属器だそうですが、エジプトは金属を精錬するための木材も不足がちで国内で賄えなかったため早くから海外交易が盛んでした。地中海沿岸のレバノン杉もそうですが、紅海を使って南方諸国とも交易を行いました。その中の一つにプント国というものがあります。古代文明に詳しい方なら聞いたことくらいはあるでしょう。その比定地には諸説ありアラビア半島南西部イエメン地域にあったという説もあれば紅海に面したスーダン沿岸部、さらに下ってエリトリア、ジブチ、ソマリア沿岸部など様々な説があります。

 ただ、エジプトがプント国から輸入した交易品は金、香料、黒檀(こくたん、家具や弦楽器に使用されるカキノキ科カキノキ属の熱帯性常緑高木数種の総称。エボニーとも呼ばれる)、象牙、野生動物、奴隷などがあり、イエメンやアラビア半島では産しないものもあったため、現在ではイエメン説は否定されています。紀元前26世紀エジプト第4王朝クフ王の時代、プント王から黄金がもたらされたという記録もあり、かなり早くから紅海貿易が行われていたことが分かります。

 古代スーダンにはメロエを中心とするクシュ王国が存在し一時はエジプトを占領するくらいの強勢でしたが、ここの特産も黄金でした。そこから類推するとスーダン沿岸からエリトリア沿岸にプント国はあったと私は思います。ただその支配民族はクシュが黒人種であったのに対し、イエメン同様セム語族だったのでしょう。黒人種の国であったとすると同族である黒人種の奴隷は輸出しにくいからです。もっとも周辺の黒人種の国と戦争して獲得した捕虜を奴隷として輸出した可能性もありますが。

 私がプント国の支配民族がセム語族だったのではないかと推定する理由の一つとして、後にイエメンにあったとされるシバの女王と伝説のイスラエル、ソロモン王の子と称するメネリク1世がエリトリアとエチオピアの地にアクスム王国を建てているからです。ちなみに後のエチオピア王国ソロモン朝はこのメネリク1世の子孫だと言われます。

 紅海の南の出口であるバブ・エル・マンデブ海峡は30㎞と狭くイエメンからジブチに古代の航海術でも容易に渡れます。紅海を船で行き来できた民族なら尚更です。もしかしたらプント王国はジブチ、エリトリアとイエメン地域を含んだ海峡国家だったかもしれませんね。そのプント国との交易もエジプト第20王朝(紀元前1185年頃~紀元前1070年頃)の時代、突然途絶えます。

 私はこの時期に、ナイル河中流域に栄えたクシュ王国からの侵略があったのではないかと考えています。エジプトとクシュは互いに支配したり支配されたりの関係で、紀元前11世紀まではエジプト王国がクシュを植民地支配していました。しかしエジプトで内乱が起こり衰退するとクシュ王国は独立を勝ち取りピイ王の時代逆にエジプトに攻め込んで征服、第25王朝(紀元前747年~紀元前656年)を開いたほどでした。クシュによるエジプト支配が終わったのは、紀元前671年世界帝国アッシリアがエジプトに攻め込んだからです。ただこの時はエジプトから撤退したのみで、クシュ王国は紀元後ローマ帝国のネロ帝時代も存続していたそうですから驚かされます。クシュ王国が完全に滅んだのは600年頃で支配民族の反乱が原因だそうです。

 プント国とクシュ王国の関係には非常に興味があります。クシュ王国はメロエ語、メロエ文字を持ちエジプト文明に影響を受けたピラミッド群を建設するほど栄えた文明でしたが、プントから学んだものもあったかもしれません。そしてプントの後を受け紅海貿易を担ったとすると、この地域の歴史はもっと掘り下げるべきかもしれませんね。

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歴史好き、軍事好きの保守思想の持主です。最近は時事ネタが多いですが広い気持ちでお許しください。本来は歴史ブログだったんですよ。

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