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トランプ大統領、日本を満喫しているようですな

【猛獣使い】海外メディア「安倍首相が付き合い方の手本を世界に示した」「欧州人はトランプ大統領への対処を完全に誤った」




 午前中のゴルフでの仲良さそうなツーショット写真、午後大相撲千秋楽の真剣な表情、表彰式優勝力士へのアメリカ大統領杯授与式での笑顔。トランプ大統領が心の底から日本を満喫しているようで何よりです、さらに二人で靖国参拝までしてくれれば特亜が発狂して心地良いんですが、流石にそこまでは望みすぎでしょう。

 日本人の特性として、たとえ意見の合わない人に対してもことさらに喧嘩腰にならず和をもって接するという美点がありますが、安倍総理とトランプ大統領は人間的な馬も合うんでしょう。例にあげて恐縮ですが、自分の主張ばかり繰り返し他人には一切譲らない韓国人では絶対にできない芸当。文在寅が個人的にトランプ大統領から嫌われているのも納得です。

 日本訪問の帰途韓国にも寄ると言われてますが、トランプさん下手すると在韓米軍基地から一歩も出ないかもしれませんね。現地の米兵を激励してそのまま帰国しそうwww文在寅はこの前の米韓首脳会談2分という赤っ恥を挽回するために何とか長時間の首脳会談を画策しているそうですが、5分会ってくれればいいね♪

 今後の外交展開ですが、私はブレグジットで苦しむイギリスをTPPに取り込み、ゆくゆくは日米英安保条約でも結んで海洋勢力の結集を図ったら良いと個人的には思っています。アメリカの支那の戦争は秒読み段階に入ったと思っていますから、戦後の世界秩序も見据えたら日米英の協力は不可欠だと考えているんですよ。

 此の際、できればロシアも支那陣営に追い込んで敗戦国にしたいんですが、ロシアは特亜と違って強かですからね。中立を保ってぎりぎりの段階で日米英の側に参戦し火事場泥棒で旧満洲を占領しかねないですな。その意味では支那には心を許せる味方はいません。唯一の味方とも言うべきパキスタンですら、いざとなったらどちらに付くか分かりませんよ。南北朝鮮はお荷物だし。

 令和最初の国賓としてトランプ大統領をおもてなししたのは安倍外交の成果だと思います。今後経済問題で厳しい交渉になるとは思いますが、安保などそれ以外の問題で日米が協調していれば対支那のような国家を揺るがすような制裁は避けられるはず。ファーウェイに対するアメリカ政府の態度などあまりにも露骨すぎますからね。日本の経済人も国際政治を読み誤ると致命傷になりますよ。我々一般国民も今後ファーウェイ商品を使わないなど自己防衛しないと駄目でしょう。

 皆さんは今回のトランプ大統領の訪日、どんな感想を抱かれましたか?
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日韓議連の立場もだんだん怪しくなってきましたな

「賠償を妨害しない発言なんてしていない」と日韓議連が韓国側の言い分を全否定 勝手に希望的願望を述べた



 この前の韓国議員団の訪問の際の「何しに来られたのですか?」と木で鼻を括ったような石原伸晃の発言もグッジョブと思ったけど、媚韓派の巨頭であるはずの二階幹事長ですら「会って話したら発言の一部を切り取って韓国に都合の良い発表をされたらたまらない」と危険を察知して韓国議員団との会見を拒否したというのに、この河村の馬鹿は会ったんですね(呆)。そして案の定言ってないことまで捏造され自分の立場を悪くするというまさに阿呆としか言いようのない結果。

 ただ唯一の救いはこれまではどんなに韓国側に曲解されてもスルーだったのに、今回は国民世論の怒りに押された自民党議員の糾弾で河村が釈明せざるを得なくなったところ。さすがに愚か者の河村ですら、今回の失策で日本国民が韓国に対しどれほど怒っているか理解したでしょう。もし理解してないとしたら岩屋並みの馬鹿ですよ。

 TBSの昼のワイドショーでコメンテーターの立川志らく師匠から「日本は韓国に舐められている」という発言まで出ました。売国媚韓のTBSですらそう報じざるを得ないほど日本人の対韓国世論が硬化しているという事。韓国政府は事の重大性を全く理解していない。日本は民主主義国家ですから世論に逆らう外交は難しい。そして日本国民を怒らせているのは韓国の反日行動と舐めた態度。これが改められない限り関係改善などあり得ないし、行きつくところまで行くでしょう。我々日本人はそれで構わないと思っている。

 文在寅は関係改善する意思がまったくないようで、この期に及んで日本企業も加わった財団を設立し原告側に賠償しようなどという世迷言をほざいています。日韓請求権協定はどうなった?この前慰安婦財団解散を発表したばかりだろ?本当に日本は舐められているんでしょうな。さすがの弱腰日本政府も国際司法裁判所提訴まで言い出してきました。おそらく韓国は提訴しても乗らないでしょうから今度こそ経済制裁ですよ。私が恐れているのは、韓国が国際司法裁判に応じるまで待つと称し日本政府が対応を先延ばしする事。さすがにそんなヘタレた対応したら私は参院選で自民党には絶対投票しない。維新と売国野党はもちろん論外だが…。白票かな?

 安倍政権の対応も含めて私は日韓関係を厳しく見守りたいと思います。

生まれて初めて伸晃グッジョブと思った(笑)

関係改善に焦る韓国側 韓国議員団が自民議員らと面会 石原伸晃会長代行は議員団に向かって突き放すように「なんで来たの?」


 韓国議員団が訪日すると聞いて、自民党の議員どもが変な妥協をしないかと非常に心配していたんですが杞憂に終わりました。さすがに一連の韓国の反日行動で腹に据えかねる日本人が多いことを議員たちもひしひしと感じていたのでしょう。日韓議連のアホ議員といえども自分を取り巻く環境が日に日に厳しさを増していることは承知しているという事かもしれませんね。

 それにしても石原伸晃、よくぞ言った。これこそまさに取り付く島もないというやつです(笑)。ノビーはこの前の総裁選の時も空気の読めなさで顰蹙を買い、絶対有利の状況で安倍さんに総裁の座を奪われるという大失策を犯した稀有の人ですが、今回はその空気の読めなさが良い方向に転んだ発言です。

 結局二階幹事長にも会えなかったそうですから、韓国議員団の訪日も全くの無駄足。いかに韓国が焦っているか分かりますが、すでに韓国の国家としての信頼性が地に堕ちている(もともと無かったが…)という現実を連中は理解できないんでしょうな。安倍政権が韓国に対し「韓国の裁判結果がどうだろうと日本がそれに従う事はない」とはっきり言っているのにまだ目が覚めていないようです。本来なら国際常識なので言わずもがななんですが、韓国にはわざわざこんな事を言っても無駄なんでしょう。非常識の塊ですから。

 安倍政権が韓国に経済制裁する前に、日本企業の韓国からの撤退は着実に進んでいるようですし、それに追随して外国資本も逃げ出し始めています。韓国株価とウォンの暴落はその何よりの証拠。国際社会から見ればアメリカのトランプ政権が韓国を見限っているというのが常識ですからね。日本もその流れに乗っただけ。

 韓国議員団は天皇陛下に侮辱発言した国会議長文喜相の首を差し出すくらいの事は最低でもするべきでしたね。何もせずに要求だけ突き付けるなど論外。いくら日本の媚韓議員でも自分の身が可愛いから国民から総反発を受けかねない韓国への甘い対応など取れない。岩屋防衛大臣が例外中の例外ですよ。あれはただの馬鹿ですから。韓国議員団も岩屋にすがればよかったのに。そうすれば岩屋を更迭する大義名分にもなりました。

 まあ、とにかく日韓断交に向けて着実に進んでいるようで安心しました。これを加速するには韓国が暴走する事。斜め上の対応をぜひお願いします♪

ローマ軍の野営地『カストラ』

カストラ


 これまで何回か書いたと思いますが、共和政期、帝政期と通じてローマ軍が強かった理由は兵站を最も重視した事です。海路を使えれば主要な港を押さえ、内陸を進軍する場合は要所要所に野営地をもうけ補給拠点としました。この野営地を『カストラ』と呼びます。西洋で城を意味するキャッスルの語源です。カストラ自体はエトルリア起源とも言われますが、すくなくともポエニ戦争時には骨格が出来ていたとされます。

 カストラは、3日間の野営地、4日間の野営地、行軍中の野営地、冬季の野営地、夏季の野営地、恒久的な野営地など多くの種類があり、ローマ軍は必要に応じでこれを造りました。軍の規模によってそのサイズも決まっており、そのためにローマ軍には測量技師や専門の工兵が従軍します。短期の野営地の場合は、テントを張って寝泊まりしましたが、恒久的な場合は城壁も石造り、宿舎も建設され要塞となります。

 軍団のどの部隊がどこに泊まるかも場所が詳細に決められており、ローマ軍は1日の行軍の終わりに土地を測量し、でこぼこした地形の場合は整地してカストラを建設しました。この動きはマニュアル化され、そのための資材もあらかじめ用意されます。カストラの適地は緩やかな丘陵の頂上部で広い土地が確保できるところ。近くに川が流れ飲料水と軍馬用の水、牧草が確保できる場所でした。

 ローマ軍の戦績を見ていると、緒戦で負けることもありましたがカストラに一時撤退して態勢を整え最終的に勝利するというパターンが多かったようです。古代、ローマ軍ほど兵站を重視した軍隊はなかったように思います。それはローマ人の几帳面な性格もあったのでしょう。兵站を重視するゆえに極端に多い軍隊も動員せず、必要十分な兵力で長期間戦える態勢を作りました。これではさすがのギリシャのファランクスも、ゲルマン人やガリア人も敵いませんよね。ローマが地中海世界を統一したのも必然だったのでしょう。

スキピオ・アシアティクスとマグネシアの戦い

セレウコス朝シリア マグネシア

マグネシアの戦い2


 ルキウス・コルネリウス・スキピオ・アシアティクス(紀元前2世紀、 生没年不詳)、どこかで聞いたことのある名だと思います。実はこの人、ザマの戦いでカルタゴのハンニバルを破った共和政ローマ救国の英雄スキピオ・アフリカヌスの実の兄です。スキピオ家は名門コルネリウス一門の有力貴族ですが、特にこの時代有能な人物を輩出しました。スキピオ兄弟は言うまでもなく、その父プブリウスも堅実な軍人・政治家でしたし、スキピオ・アフリカヌスの息子の養子となったスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)は第3次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼしています。

 ちなみに、スキピオ・アエミリアヌスの父もピュドナの戦いでアンティゴノス朝マケドニアを滅ぼしたアエミリウス・パウルスでした。パウルスはスキピオ・アフリカヌスの妻の弟で、スキピオ・アエミリアヌスは従兄弟の養子になったことになります。

 アレクサンドロス大王の後継者王朝であるアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアはすべて共和政ローマの軍が滅ぼしました。マケドニアはパウルスが、エジプトをオクタヴィアヌスが、そしてシリアはポンペイウスが引導を渡します。ただ、セレウコス朝シリアに関しては既に滅亡の130年前実質的に滅んでいたとも言えます。その立役者がスキピオ・アシアティクスでした。

 セレウコス1世が建国したセレウコス朝シリアは、小アジアからイラン高原に至る広大な領土を誇ります。アレクサンドロス大王の後継者王朝では最大の国力があったとも言えます。ところが、イラン高原で遊牧民族パルティアが興り独立、辺境のトランスオクシアナ地方、トハリスタンを領するバクトリアも離反しました。

 アンティオコス3世(紀元前241年~紀元前187年)は、東方遠征を敢行しパルティアを戦争で下し従属させ、離反したバクトリアにも再び臣従を誓わせます。セレウコス朝シリア中興の祖として大王と称えられるほどでした。ところが、セレウコス朝から独立していたペルガモン王国(アナトリア西部から南部にかけて)を再び服属させようと動いたことで共和政ローマとの対立が決定的になります。ペルガモン王国はセレウコス朝の支配を嫌いローマに支援を求めたからです。当時ギリシャ諸ポリスから成るアエトリア同盟もローマの進出を嫌い反発を強めていましたから、アンティオコス3世はこれと同盟を結びローマとの対決姿勢を示しました。

 ローマとセレウコス朝の対立はローマ・シリア戦争へと発展します。戦端はギリシャの地で開かれました。シリア・ギリシャ連合軍はテルモピュライの戦いで完敗、アンティオコス3世は同盟者のギリシャ諸都市を見捨て小アジアに逃れます。ローマ元老院は、この際危険なアンティオコス3世叩くべしとの声が大きくなり、スキピオ・アフリカヌスの兄スキピオ・アシアティクスを遠征軍司令官に任命しました。

 総勢2万と言いますから、スキピオ・アシアティクスの率いたのは3個軍団(1個軍団は約6千名から成る)と若干の補助部隊でしょう。大国シリアと戦うには随分と小勢ですが、これはシリアを舐めていたというより第2次ポエニ戦争が終わったばかり(紀元前201年に終結)で余裕がなかったからだと思います。紀元前190年、ローマ軍は小アジアのマグネシアでアンティオコス3世のシリア軍を捕捉しました。この時シリア軍の兵力は総勢6万人だったそうですからローマ軍の3倍の兵力です。

 さらに厄介なのは、この時シリア軍にカタフラクトイという重装騎兵部隊がいたことでした。カタフラクトイ(カタフラクト)は東ローマ帝国軍の主力として有名です。馬にも防具を施し、長距離では弓、中距離で槍、接近戦では剣とあらゆるレンジで戦えるのが強みの精鋭重装騎兵の事を指します。ただ、おそらくこの時代では単に馬にも防具を施した重装騎兵の意味だったでしょう。槍が主体、弓は装備していなかったはず。弓は軽装の弓騎兵がいたでしょう。とはいえ、ローマ軍にとって脅威だったのは間違いありません。

 重装歩兵も5m以上にも及ぶ長槍サリッサで武装する重装歩兵ペゼタイロイ。ペゼタイロイはマケドニアン・ファランクス(長槍密集歩兵陣)を組んで戦列の中央に布陣します。その両翼にカタフラクトイ。ただ、唯一の弱点はペゼタイロイが純粋なマケドニア人ではなく現地のシリア人やメソポタミアの住民で構成されていたこと。もちろんマケドニア人の子孫もいたでしょうが、質実剛健の本来の性格を失い当時の文明社会オリエントのぜいたくな生活に慣れ我慢心が無くなっていたと言われます。

 戦いは、数に勝るシリア軍が緒戦から押しまくります。アンティオコス3世は、両翼のカタフラクトイで弱体のローマ騎兵を追い散らしローマ軍の主力重装歩兵を包囲殲滅する、ちょうどカンネーの戦いのハンニバルのような戦い方をするつもりでした。一方、ローマ軍は両翼の騎兵が意外に頑張りました。ただ中央の重装歩兵は敵のファランクスに押され敗色濃厚になります。

 この時、戦場に濃霧が立ち込めました。ローマ軍右翼を指揮していたエウメネス(アレクサンドロス大王の書記官長エウメネスとは当然別人。時代も違う)はこの絶好の機会を逃しませんでした。自分の指揮下にあったクレタ軽装歩兵部隊を敵左翼に奇襲させます。濃霧の中突如現れたローマ兵にシリア軍は大混乱に陥りました。シリア軍左翼にいた鎌戦車の部隊が驚いて自軍に駆け込み収拾がつかなくなります。

 濃霧で状況が見えないアンティオコス3世は、自軍の攻勢が成功したものと勘違いし、右翼のカタフラクトイを率いてローマ軍に突撃しました。ローマ騎兵は軽装だったため全く歯が立たず敗走、ローマ軍はカタフラクトイの攻撃を支えきれず後方の野営地に逃げ込みました。野営地というと防御力はほとんどないようなイメージですが、ローマ軍は土木技術に長けており野営地と言えども整然と整地し深い堀と柵をめぐらし、一種の城に近い存在でした。これがローマ軍が一時的に戦闘で敗北しても最後に勝利する理由ですが、この時もその威力を十分に発揮します。

 野営地を守っていたのはマケドニア軍のファランクスでした。後にローマと対立し滅ぼされるマケドニアも、近親憎悪からこの時はローマ軍に協力し援軍を送っていたのです。さすがに本場のマケドニアン・ファランクスは頑強でシリア軍のカタフラクトイは攻めあぐねます。戦いは混沌としてきました。ローマ軍右翼、シリア軍左翼ではローマ軍の勝ち、逆にローマ軍左翼、シリア軍右翼ではシリア軍優勢、あとは我慢比べです。ローマ軍左翼が敗走しながらも友軍マケドニア軍の奮戦でなんとか持ちこたえているうちに、ローマ軍右翼の戦闘は次第に有利になり始めました。というのも、カタフラクトイは攻勢には強くても防御ではその威力を十分発揮できなかったからです。

 シリア軍左翼は崩壊、中央のシリア軍マケドニアン・ファランクスはローマ軍に包囲されつつありました。総司令官であるアンティオコス3世は、右翼のカタフラクトイ部隊を率いてローマの野営地攻撃に向かっており不在、ようやくアンティオコス3世が自軍の危機を知って戻ってきたときには、中央のペゼタイロイ部隊の敗色は濃厚になっていました。この時、アンティオコス3世が、率いてきたカタフラクトイと共にローマ軍に突撃していれば、また戦局も変わったかもしれません。が、彼は意気消沈し全軍に撤退を命じました。

 どんなに戦況が不利でも粘り強く指揮し情勢の変化を待ち続けたスキピオ・アシアティクス、一方一時的な有利を捨て不利になったらあっさりと戦争を諦めたアンティオコス3世、将器の違いが勝敗を分けたと思います。このようにスキピオ・アシアティクスは弟アフリカヌスのような際立った戦術能力はなくとも堅実で手堅い用兵が身上の良将だったと言えます。

 セレウコス朝シリア軍の損害5万。ほぼ壊滅と言ってよい数字ですが、これは敗走時に生まれたものでしょう。マグネシアの敗北でセレウコス朝シリアは小アジアやメソポタミアに持っていた宗主権を喪失、シリアの一地方勢力に落ちぶれました。イラン高原のパルティアは完全に離反し、逆にメソポタミアのセレウコス領を侵略します。

 ローマ軍の痛手も大きいものでした。一説では死傷者4千とも6千とも言われます。ローマ側も完勝ではなく紙一重の苦しい戦いでした。とはいえ、この勝利でローマの地中海東部への影響力は増大します。ペルガモン王国など親ローマ勢力が拡大し、ローマはこれを支援する形で旧支配者であるマケドニアやシリアを滅ぼすことになりました。

 ローマがオリエントの地で強力な遊牧国家パルティアと対峙した時、かつての宗主国セレウコス朝シリアはポンペイウス率いるローマ軍の前にほとんど抵抗なくあっさりと軍門に降ることとなるのです。紀元前63年の出来事でした。

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