北近江浅井三代記Ⅷ  信長の危機

 浅井三代記と言いながらここのところ信長中心の記述となっていますが、当然のことで時代は信長を中心に回っていました。もう一方の極には将軍足利義昭。本来なら越前を中心に60万石余を領する朝倉義景が一方の中心に立つべきでしたが、義景は生来の優柔不断。もし彼に器量があれば信長の位置にあるのは彼だったはず。浅井長政は余りにも力が弱く、時代に翻弄されるだけの存在だったのです。

 足利義昭は、足利幕府復興の最大の障壁信長を倒すため仇敵であるはずの三好三人衆とも結びます。石山本願寺、比叡山延暦寺までが包囲網に加わりました。この当時の大寺院は僧兵を擁し下手な大名よりも大きな力を持っています。比叡山は僧兵三千、本願寺に至っては全国から門徒を集め数万の兵力を有していました。門徒と言っても地方の武士なども多く加わり、中でも雑賀衆三千挺の鉄砲は特に脅威となります。この頃信長の保有する鉄砲も三千挺ほどですから、信長に匹敵する軍事力を持っていたわけです。

 本願寺は、全国の門徒に蜂起を命じます。伊勢長島一向一揆、近江一向一揆が信長の前に立ちはだかりました。元亀元年(1570年)7月、義昭の要請を受けた三好三人衆は一万三千の兵を率い再び海を渡ります。本願寺と連携し、摂津国野田・福島に城を築きました。信長は軍勢三万で摂津天王寺に陣を布きますが、決着はつかず戦線は膠着します。この時も雑賀鉄砲衆に撃ち掛けられ足を負傷しました。

 同年9月信長の窮地を見て、浅井長政、朝倉義景は連合して出兵、近江坂本に到着。宇佐山城の森可成は妨害しようと兵六百を率いて出陣しますが、あまりにも数が少なく大敗します。浅井朝倉連合軍はそのまま宇佐山城に攻めかかり、城将森可成以下ことごとく討死しました。連合軍は坂本、大津、醍醐、山科あたりを焼き払い比叡山に籠城します。

 急報を受けた信長は摂津から撤退し、下坂本に布陣しました。この時比叡山に使者を送り「浅井朝倉勢を山から追いだせば、横領されていた近江の寺領をすべて返還する」と言わせます。しかし比叡山は拒否。信長の性格を知っていれば強硬な態度は火に油を注ぐだけでしたが、まだ彼らは自覚していませんでした。

 織田勢と浅井朝倉連合軍は比叡山の麓と山中で睨みあいます。柴田勝家に負けて行方をくらましていた六角承禎も姿を現し南近江で蠢動を始めていました。睨みあいは11月まで続きます。この間、小競り合いは続き織田家の重臣坂井政尚が戦死しました。11月21日、信長は六角承禎に突如和議を提案します。承禎も領土のほとんどを奪われ苦しかったのでしょう。これを受け入れ包囲網の一角が崩れました。

 同じ日長島一向一揆は、尾張国小木江城を襲い信長の弟信興を攻め殺しています。桑名城の滝川一益も敗走し、救援に向かった氏家卜全が負傷するなど織田家は各地で窮地に立たされていました。膠着状態に業を煮やした信長は、朝廷を動かし浅井朝倉方に和議を持ちかけます。勅命講和は効果てきめんで浅井朝倉方もこれに応じ比叡山を下ります。しかしこれが運命の分かれ道でした。次第に気候が厳しくなる中、山の中の寒気に朝倉義景が嫌気をさし勅命講和に飛びついたのだと言われますが、苦しいのは信長も同様でこのまま粘っていれば織田家は崩壊の危険性すらありました。

 講和の条件は寛大で、浅井朝倉方に有利だったと言われます。ただし信長にとっては敵に比叡山を下山させるのが目的でしたから条件などどうでも良かったのです。一旦岐阜城に帰った信長は、元亀二年(1571年)再び近江に出陣しました。2月、小谷城との間にある横山城を織田家に奪われ敵中に孤立していた佐和山城の磯野員昌がついに降伏します。これにより横山城以南の浅井領はすべて信長の手に入りました。信長は佐和山城に宿将丹羽長秀を入れます。

 しかし今回の矛先は長政ではありませんでした。伊勢でも攻勢に転じ一揆方の村々を焼き払います。9月、柴田勝家・佐久間信盛に命じ江南の六角方の諸城を攻略させました。9月11日、織田勢は小谷城には向かわず突如坂本、三井寺に布陣します。目標は比叡山でした。前年浅井朝倉方を助けた比叡山への怨みを忘れていなかったのです。明智光秀などは伝教大師以来の伝統を理由に猛反対したそうですが、信長の意志は固く、三万の軍勢はアリの這い出る隙間もなく山頂に通じる山道を封鎖します。退路を完全に断って信長は12日焼き討ちを命じました。この時比叡山には男女含めて五千人がいたそうですがことごとくなで斬りにされます。残酷と言えば残酷、ですが信長に抵抗しなければ起きなかった悲劇でした。

 仏法の総本山と言いながらなぜ女子供がいたのでしょう?厳しい言い方ですが僧兵を蓄え時の権力と対決した腐敗堕落の寺院にはふさわしい末路だったと思います。

 元亀三年(1572年)、甲斐の武田信玄がついに上洛の軍を発します。反信長陣営にとっては頼みの綱でした。近江で浅井朝倉連合軍と対峙する信長にとっても危機です。信長と信長包囲網の戦いの結末はどうなるのでしょうか?

 次回、最終回浅井氏の滅亡を描きます。
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