アレクシオス1世コムネノス ビザンツ中興の祖にして帝国を終わらせた男

 ビザンツ帝国(東ローマ帝国)皇帝アレクシオス1世コムネノス(1048年~1118年)。往年のゲームファンなら懐かしの歴史シミュレーションゲーム、光栄『蒼き狼と白き牝鹿ジンギスカン』に出てくる同名の皇帝を思い浮かべるでしょう。実はゲームに出てくるのはアレクシオス3世アンゲロス。1世はコムネノス朝の創始者で、3世の方はコムネノス朝を滅ぼしたアンゲロス朝の皇帝です。

 過去記事マラズギルトの戦いに出てきた皇帝ロマノス4世ディオゲネスはドゥーカス朝の皇帝でした。ロマノス4世がセルジュークトルコの捕虜となった時義理の息子ミカエル7世が立ったと書きましたが、アレクシオスはミカエル7世の従弟アンドロニコス・ドゥーカスの娘エイレーネーと結婚しています。そればかりか、ドゥーカス朝が成立する前の皇帝イサキオス1世コムネノスの甥にもあたりました。血統的にはいつ皇帝に即位してもおかしくない人物だったのは確かです。

 当時のビザンツ帝国はどのような状況にあったでしょうか?ビザンツ帝国の通貨ノミマス金貨は中世を通じて国際通貨として扱われ『中世のドル』と呼ばれるほど流通していました。これはビザンツ帝国の信用が大きく裏打ちしていたからですが、マラズギルト敗戦の後、ビザンツ帝国の信用そのものが大きく揺らぎます。さしもの超大国も官僚制度は腐敗し、連年の外敵の侵入による国防費の増加、重税による農村の疲弊に苦しめられていました。ビザンツ政府は巨額に上った赤字を解消するため、ノミマス金貨の金の含有量を大幅に減らすという最悪の手段をとります。これは逆にビザンツ国家とノミマス金貨の信用をますます落とす結果になりました。

 アレクシオス1世が即位したとき、帝国は国家破産寸前の状態にあったと言っても過言ではありません。アレクシオスは24歳の若さで将軍となると各地に転戦します。実はアレクシオス自身もマラズギルトの戦いに従軍していました。当時のドゥーカス朝は、セルジュークトルコはもちろんの事、ウクライナ平原からはクマン族(キプチャク族)の侵入に苦しめられ、帝国領土だった南イタリアではノルマン人が侵略を繰り返していました。

 国内でも反乱が相次ぎ、特に軍事貴族ブリュエン二オスの反乱は帝国を揺るがす大事件になります。バルカン半島の有力貴族たちを味方につけたブリュエンニオスは大軍を擁し首都コンスタンティノープルを窺います。時の皇帝はニケフォロス3世ボタネイアテスでした。しかしこの男も実は反乱者で、一足先に首都を制圧し皇帝を名乗っただけの存在だったのです。皇帝はブリュエンニオスを懐柔しようとしますが、本人にも正統性が無いため交渉は決裂しました。

 皇帝ニケフォロス3世は、若き将軍アレクシオスに反乱鎮圧を命じます。皇帝にとっては成功してもよし、もし失敗しても有力な皇位継承のライバルが消えるだけでしたから一石二鳥の妙案でした。当時アレクシオスは、トルコ人のアナトリア侵入で散り散りになった地方の軍隊をかき集め選抜した不死隊をいう部隊を率いていました。名前は大したものですが、実際は寄せ集めで兵の質は低いものでした。

 一方、ブリュエンニオスが率いるのは、ほぼ無傷のバルカン半島の精鋭。まともにぶつかれば勝負にならないのは明らかでした。両軍は首都コンスタンティノープルに近いトラキアでぶつかります。アレクシオスの軍は不死隊という名が恥ずかしくなるように負け続けました。それをアレクシオスの将器でかろうじて支えているという厳しい状況です。ところが、ブリュオンニオス軍側のスキタイ人傭兵(おそらくクマン族)は、戦いの帰趨は決したとばかり勝手に略奪を始めます。皇帝軍は、弱兵でしたがさすがに首都の軍だけあって豪華な軍装で財宝も軍中に多数携えていました。

 傭兵にとっては、戦いなどはどうでも良く自分たちの利益があれば良かったのです。ブリュエンニオスにこれを制止することはできませんでした。そればかりか、スキタイ人たちの傍若無人な振る舞いに反乱軍兵士たちはいつか自分たちが攻撃されるのではないかと動揺します。アレクシオスは、この混乱を見逃しませんでした。側近の従者たちと騎兵を率いると敵の本陣に突っ込みます。

 敵将ブリュエンニオスの馬と太刀を奪ったアレクシオスは、「敵将ブリュエンニオスを討ち取った」と伝令に触れて回らせます。実はブリュエンニオスはまだ生きていたのですが、乗馬と愛刀を見せられると混乱していた反乱軍は驚愕し潰走しました。アレクシオスはすぐさま追撃を命じ、敵将ブリュエンニオスは捕えられ反乱は潰えます。アレクシオスは、ブリュエンニオスを寛大に扱い首都に凱旋しようとしました。

 ところが皇帝ニケフォロス3世は、ブリュエンニオスの引き渡しと新たに起こった反乱の鎮圧をアレクシオスに命じます。この時アレクシオスは皇帝に対する強烈な不満を抱いたと言われます。皇帝に引き渡されたブリュエンニオスは両目を潰されて追放されました。さすがにブリュエンニオスの一族は勢力が強く皇帝としても処刑できなかったのでしょう。

 皇帝に便利使いされいつかは滅ぼされると覚悟したアレクシオスはついに反乱に立ち上がります。皮肉にも皇帝の命令で各地の反乱を討伐していくうちにビザンツ軍はアレクシオスが完全に掌握するようになっていました。1081年、軍の力を背景に退位を迫るアレクシオスに、皇帝ニケフォロス3世は抵抗できませんでした。

 こうして皇帝に即位し新たにコムネノス朝を開いたアレクシオスでしたが、難問は山積です。まず国内では貴族の力が増大し皇帝の地位を脅かすほどになっていました。アレクシオス自身も有力貴族でした。そこでアレクシオスは、貴族を弾圧するのではなく帝国の柱として優遇することで不満解消を目指します。腐敗した官僚制度にもメスを入れ、新たな官職を設けることで利権化した以前の官職を無効化し、売官制度という悪習を減らします。

 これを日本で分かりやすく言うと、近衛府や衛門府などの律令武官に対し、征夷大将軍として幕府を開き軍事警察権を独占することで律令武官の実権を奪い単なる名誉職にするようなものです。

 対外的には、帝国領南イタリアが完全にノルマン人に征服され対岸のバルカン半島にも勢力を伸ばしつつありました。そこでアレクシオスは、都市国家ヴェネチアと同盟し海軍力によってノルマン人の侵略を撃退します。ただその際、ヴェネチアに様々な関税特権を与えたことで帝国内の商工業者の衰退を招き経済的にヴェネチアがビザンツを操るようになりました。アレクシオスにとってヴェネチアとの同盟は仕方ない事だったのでしょうが、長い目で見るとビザンツ帝国の緩慢な死を招いたきっかけになったと言えるかもしれません。

 北西国境では強敵クマン族が侵入を繰り返し、帝国の悩みの種となっていました。クマン族は別名キプチャク族ともいい、トルコ系の遊牧民族です。ウクライナからカザフスタンの平原地帯が本拠地で11世紀ボルガ川方面から黒海沿岸に進出し、ルーシー諸国は激しい略奪で苦しめられます。その矛先がビザンツ帝国にも向けられたのです。アレクシオスは自ら討伐に乗り出し、激しい戦いの末西方領土を奪回します。

 最大の宿敵セルジュークトルコは、1077年分裂しアナトリア半島(小アジア)では後継国家ルーム・セルジューク朝が成立していました。当時のビザンツの国力からいってルーム・セルジューク朝単独なら対処できたと思います。しかし、いったん戦端が開かれるとシリアやイランのセルジューク一族が参戦してくるのは明らかで全面戦争となります。そうなればマラズギルトの再来となる可能性が高く、アレクシオスはこれを恐れたのだと思います。

 彼は、致命的な失策を犯しました。ルーム・セルジューク朝を討つため、ローマ教皇ウルバヌス2世に傭兵の提供を要請したのです。教皇はこの申し出を奇貨として、聖地エルサレム奪回の十字軍を編成しました。これが第1回十字軍です。ビザンツ帝国は、十字軍の策源地となり逆に疲弊します。当時の西ヨーロッパは文化が低く一言でいえば蛮人だったので、同盟国であるはずのビザンツ領内でも略奪や婦女暴行など乱暴狼藉の限りを尽くします。挙句の果てには1204年、第4回十字軍がビザンツの首都コンスタンティノープルを占領しラテン帝国を勝手に建国するという暴挙まで行いました。これには裏でヴェネチアが糸を引いていたと言われます。

 ビザンツ帝国は一時滅亡し、各地に亡命政権ができました。ようやくコンスタンティノープルを奪還し帝国を再建できたのは1261年。しかし往時の力を取り戻す事はついになく1453年オスマントルコのメフムト2世によって滅ぼされるのです。アレクシオスは、その端緒を開いた皇帝でした。

 アレクシオス1世コムネノス、滅びゆく帝国の滅亡を防いだ中興の祖である事は間違いありません。しかし同時に帝国が緩慢な死に向かうきっかけを作った人物でもあるのです。ただアレクシオス1世の統治時代、ビザンツ帝国が一時の安定を取り戻した事だけは確かでした。1118年皇帝アレクシオス1世コムネノス死去、享年70歳。


 歴史的評価の分かれる人物ですが、私は高く評価したいと思います。彼がいなければビザンツ帝国は内乱の末12世紀には滅亡していたでしょうから。
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