ミカエル8世パライオロゴス  帝都を奪還した悪人皇帝

 歴史には時々どうしようもない悪人というのが出てきます。ただ悪人でなければ成し得ない事業があるのも事実。このミカエル8世パライオロゴス(1225年~1282年)は十字軍に奪われていたビザンツ帝国の帝都コンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国を再興した人物です。

 彼の登場前に、どうしてビザンツ帝国が国を奪われることになったかを見て行きましょう。アレクシオス1世コムネノスによって招き入れられた十字軍。当時の西洋世界はビザンツや中東と比べると文化が劣り蛮地だったため、十字軍は策源地となったビザンツ帝国領内で略奪暴行強姦など悪逆非道の限りを尽くしました。ビザンツ帝国は、独力で巨大なイスラム勢力と対抗しえなかったため我慢を強いられます。

 帝都コンスタンティノープルが何故十字軍によって攻め落とされなければならなかったのか?それはつまらない皇位を巡る争いが発端でした。アンゲロス朝アレクシオス3世は、兄イサキオス2世を追って帝位に就きます。この時イサキオスは弟によって両目を潰され追放されたそうですが、ビザンツではよくある処刑方法でした。これで安心したのかアレクシオス3世は、イサキオスの息子(3世の甥)アレクシオスを釈放し遠征に連れて行ったりします。脱走の機会を狙っていたアレクシオスは、あろうことかローマ教皇インノケンティウス3世に援助を求めました。

 アレクシオスは、自分が帝位に就いたら十字軍の遠征費用を払うとまで申し出ます。これにはバックにヴェネチアの意向があるのは明らかでした。教皇は第4回十字軍を送りだします。この時十字軍内部では同じキリスト教国との戦争を拒否する意見があったそうですが、ヴェネチアが示す莫大な軍資金の威力に負けてしまいました。

 アレクシオスを奉じた十字軍は、1203年ヴェネチアの大艦隊に守られてコンスタンティノープルに殺到します。ビザンツ側も敵が前皇帝の皇子を押し立ててきている事で戦意は上がりませんでした。皇帝アレクシオス3世は、さっさと皇位を放り出し莫大な財宝を持って逃亡します。皇帝の居なくなった帝都はあっさりと陥落、アレクシオスは即位しアレクシオス4世となります。

 これで終われば、ビザンツ内の単なる皇位争いに過ぎませんでした。ところが地中海貿易の独占をはかるヴェネチアは次なる陰謀を用意します。十字軍としては、コンスタンティノープル占領はエルサレムに行くための途中経過に過ぎず一刻も早く出発したかったのです。しかし連年の戦でビザンツの国庫は空となっており約束の軍費支払いが物理的に不可能となっていました。アレクシオス4世は、支払いできるようになるまで待ってほしいと猶予を求めますが、ヴェネチアは私兵を使い帝都のイスラム教徒居住区を襲います。コンスタンティノープルの住民は、蛮族の十字軍ではなく異教徒ではあってもこれまで仲良く暮らしてきたイスラム教徒に同情し西欧人たちと戦いました。

 十字軍とヴェネチアに対する反感は皇帝アレクシオス4世に向かいます。1204年市民を中心とする反乱が勃発、十字軍の傀儡皇帝アレクシオス4世を襲い殺してしまいました。遠征費用の支払いが絶望的となった十字軍は、ヴェネチアの指嗾でビザンツそのものを征服し軍費を強制的に取り立てようとします。こうしてキリスト教徒同士の凄惨な殺し合いが起こりました。すでにヴェネチア艦隊に帝都の周りを包囲され、市内にも十字軍が入り込んでいましたから、ビザンツ側の抵抗は簡単に排除されます。

 ビザンツ皇帝ラスカリスは逃亡し、コンスタンティノープルは十字軍の手に落ちました。十字軍内では選挙してフランドル伯ボードワンを皇帝に選出します。この時もヴェネチアの意向が働き、もっとも扱いやすい人物を選んだと言われます。ボードワンは即位しボードワン1世となりました。これを従来のビザンツ帝国と区別しラテン帝国と呼びます。

 ヴェネチアと十字軍による暴挙は、ビザンツ帝国の人々を怒らせます。各地に亡命政権ができラテン帝国に抵抗しました。その中で有力だったのは皇帝も輩出した有力貴族コムネノス家の興したトレビゾンド帝国(アナトリア北岸)、同じく有力貴族ドゥーカス家のエピロス専制侯国(ギリシャ西部からアルバニアにかけて)と、ラスカリス家のニカイア帝国です。ニカイア帝国を建国したのは滅亡前最後の皇帝ラスカリスの弟テオドロス1世でした。

 三つの亡命政権のうちもっとも有力だったのはコンスタンティノープルの対岸、アナトリア半島北西部を領土に持つニカイア帝国です。テオドロス1世はまず、「ローマ人の皇帝」を自称しビザンツ国民の愛国心に訴えました。次にニカイアで公会議を招集、総主教を選出します。総主教の手によって戴冠することで正統性を主張しました。

 ただし現実的な政策も実行しており、当時アナトリアの大半を有していたルーム・セルジューク朝と付かず離れずの巧妙な外交を展開します。以後ニカイヤ帝国は、ビザンツ人の支持を受けず弱体なラテン帝国を尻目にボスポラス海峡を渡ってバルカン半島側にも領土を拡大。ニカイア帝国が、奪われた帝都奪還の最有力となりました。

 ミカエル・パライオロゴスが登場したのはこのような時期です。名門貴族に生まれた彼は若くして将軍となりフランス人傭兵隊の司令官となりました。軍の力を背景に帝国内での発言権を強め、1259年皇帝テオドロス2世(1世の孫)が崩御すると重臣ムザロンを暗殺。コンスタンティノープルの大司教アルセニオス・アウトリアノスと結んで、幼帝ヨハネス4世(8歳)の後見人に収まります。この時専制公の称号を得ました。

 その後ミカエルは、あろうことかニカイア帝国の重臣たちに諮り共同皇帝になろうと画策します。さすがにこれは反発が強かったそうですが、拒否すればミカエルが敵側に奔る可能性があり、渋々ながらも認められました。一応ヨハネス4世が主、ミカエルが従という関係でしたが、ここまでくれば毒を食らわば皿までという心情になってもおかしくありません。

 ヨハネス4世が11歳になると、ミカエルは幼帝の両目を潰しマルマラ海の城郭に幽閉してしまいました。すでに共同皇帝としてニカイア帝国を実質的に牛耳っていましたから、ミカエルを恐れてだれも異を唱えなかったそうです。こうしてミカエルは、1261年即位しミカエル8世となります。

 すでに1260年には、ぺラゴニアの戦いでラテン帝国、エピロス専制侯国の連合軍を撃破するなど抜群の勲功をあげており表立って誰も抵抗できなくなっていました。ミカエル8世の帝都奪還は拍子抜けするほどあっさりしたものでした。

 コンスタンティープル周辺までニカイア帝国の領土は迫っており、その日もニカイア帝国の将軍が手兵を率いてパトロールしていたそうです。するとコンスタンティノープルの城壁に全く人の気配が無いことを気付きます。試しに部下を城壁に登らせると本当に無人でした。部下はそのまま城門に降りて内側から開けます。将軍は、命令違反を恐れたそうですが勢いが勝りそのまま城内に突入占領してしまいました。

 実はラテン帝国は、皇帝ボードワン2世自ら黒海沿岸に遠征しておりほとんど守備兵は空だったのです。1261年の出来事でした。棚から牡丹餅のように帝都を奪還したミカエル8世は大々的に帝都奪還を宣言、ビザンツ帝国は見事復活します。ラテン帝国皇帝ボードワン2世は逃亡するしかありませんでした。

 ミカエル8世が恐れたのは、十字軍が再び来襲する事でした。奪還したばかりのコンスタンティノープルの城壁を修復するとともに、ローマ教皇に使者を送り東西教会の合同を持ちかけます。これは教皇庁にとっても願ってもないことで、アンジュー伯シャルル・ダンジューの提唱する対ビザンツ十字軍は沙汰止みになりました。

 アンジュー伯は、十字軍を諦めきれず支配するシチリア王国の兵を動員して出陣しようとします。アンジュー伯を警戒していたミカエル8世は、イベリア半島のアラゴン王国と同盟して背後を襲わせました。これがシチリアの晩祷(ばんとう)事件です。

 きっかけは1282年、アンジュー家の兵がパレルモで起こした婦女暴行事件でした。フランス人であるアンジュー家の異民族支配に不満を持っていたシチリア島の住民はこの事件をきっかけとして暴徒と化します。全島民が蜂起するという破滅的状況で、アンジュー軍は対処できなくなりました。そこへアラゴン王ペドロ3世の軍が上陸、アンジュー軍を駆逐してシチリアを占領します。以後シチリア王はアラゴン王が兼ね、アンジュー伯シャルルは、残っていた領土のナポリ王になって島から叩き出されました。

 ミカエル8世は、帝都を奪還し帝国を再興しただけでなく緩慢に衰退する帝国をその後200年あまり延命させた皇帝でもありました。確かにやり口はあくどくとても善良な人物とは言えませんでしたが、このような悪人であったからこそビザンツ帝国を復活させえたのでしょう。1282年ミカエル8世死去、享年59歳。

 彼の開いたパライオロゴス朝は、1453年帝国滅亡まで続く王朝となりました。
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