大オスマン帝国Ⅶ  レパントの海戦

 前の記事でガレー船という言葉が出ています。懐かしの光栄シミュレーションゲーム『大航海時代』を遊んだ事のある方ならご存知だと思いますが、知らない方も多いと思うので一応説明します。

 ガレー船というのは地中海やバルト海など風向きが安定しない内海で多用された船種で、帆走の他に多数の漕ぎ手がオールを漕いで推進するタイプです。風がある時は帆走、無い時は人力で動かします。逆に大西洋などの外海では帆走のみのガレオンという戦闘艦が使用されます。一般の方が大航海時代の帆船としてイメージするのはガレオン船だと思います。他に商船として使われたキャラックとかナオとかダウとかジャンク船とか安宅船とか色々あるんですが、詳しくは大航海時代をプレイして下さい(笑)。ちなみに、スペイン・ハプスブルク帝国は地中海用のガレー船艦隊と大西洋など外洋に乗り出すガレオン船艦隊を持っていました。


 1566年オスマン帝国最盛期を築いたスレイマン大帝が亡くなると、後を継いだのは悪女ヒュッレム・スルタンの子セリム2世(在位1566年~1574年)でした。泥酔者という綽名からも彼の能力が分かるでしょう。ただ、セリム2世、次のムラト3世(無能者)と無能なスルタンが続いても帝国の屋台骨が傾かなかったのは大宰相ソコリ・メフメト・パシャのおかげでした。スレイマン1世以後はスルタン専制というより、大宰相に代表される官僚支配国家という側面が強くなります。

 オスマン帝国最大の宿敵スペイン・ハプスブルク帝国の事情はどうだったでしょうか?こちらもカール5世が病気で退位し、息子フェリペ2世(在位1556年~1598年)が立っていました。神聖ローマ皇帝こそ従弟でオーストリア大公のマクシミリアン2世に譲ったものの、スペイン、ネーデルラント、ナポリ、シチリア、サルディニア、ミラノを父から継承し南北アメリカ、フィリピンに広大な植民地を有します。実質的なハプスブルク帝国の継承者となったのです。

 オスマン帝国の絶頂期がスレイマン大帝時代なら、スペイン・ハプスブルク帝国の絶頂期はまさにフェリペ2世の治世でした。オスマン朝に海上交易路を脅かされているヴェネチアなど地中海諸国は、カトリックの盟主としてフェリペ2世に期待を寄せます。

 きっかけは1570年、オスマン帝国がヴェネチア領キプロス島を占領した事でした。ヴェネチアは教皇とフェリペ2世に支援を訴えます。これにロードス島から叩き出されていた聖ヨハネ騎士団、地中海に利害関係を持つジェノバ、サヴォィアなどが加わり再びカトリック連合艦隊が結成されました。今回も総指揮官はスペインが出します。ドン・ファン・デ・アウストリアはフェリペ2世の異母弟です。私生児であったため苦労人で軍人としての道を歩みました。なかなか有能な人物だったと云われます。1571年当時24歳という若さでした。

 カトリック連合艦隊は、スペイン艦隊77隻、ヴェネチア艦隊116隻など総勢300余隻、兵力2万2千、大砲1800門。これに対しオスマン艦隊は戦闘艦だけで300隻、兵力2万、大砲2000門とほぼ互角。ただ指揮官ミュエッジン・ザデ・アリーは若い宮廷貴族で実戦経験がほとんどありませんでした。

 両軍は1571年10月7日ギリシャ、コリント湾口のレパントで激突します。カトリック連合艦隊はドン・ファンの旗艦を中心に弓型戦列でオスマン艦隊に突撃しました。コリント湾内にいたオスマン艦隊もこれを迎え撃ちます。激しい戦闘が続く中オスマン軍は乱戦で指揮官ミュエッジン・パシャが討ち取られ大混乱に陥りました。それまではどちらが勝つか全く不明でしたが、総指揮官の戦死でまずオスマン艦隊中央が壊滅。右翼も崩れます。左翼で頑張っていたウルジ・パシャは善戦したものの戦局を覆すまでには至らず血路を開いて撤退しました。

 結局、オスマン艦隊はガレー船25隻沈没、190隻が投降、戦死5千、捕虜2万5千という甚大な損害を出します。一方カトリック連合艦隊側の被害はガレー船12隻喪失、戦死7千5百、負傷7千7百にとどまりました。レパントの勝利によってスペインが地中海の制海権を奪い返したと言われますが、実態は地中海におけるオスマン帝国の拡大路線が頓挫したと言うべきでしょう。甚大な損害を出し、海上におけるオスマン帝国初めての大敗は確かに衝撃でしたが、これでオスマン帝国の屋台骨が揺らぐ事は無かったのです。

 レパントの海戦勝利によってスペイン艦隊は無敵艦隊の称号を得ます。フェリペ2世は得意の絶頂だったでしょう。ところが満つれば欠けるが世の習い。長年の戦争で戦費がかさみネーデルラントに重税を課した事でネーデルラント人の怒りが爆発、独立戦争を起こされます。後にオランダとなるユトレヒト同盟を支援するイングランドを懲らしめるため出撃した無敵艦隊は、1588年アルマダ海戦に大敗、壊滅的打撃を受けます。

 これによりスペイン海上帝国の覇権は消え去りました。レパントの海戦からわずか17年後のことです。1598年フェリペ2世の死と共に『太陽の没せぬ国』スペイン・ハプスブルク帝国も終焉を迎えます。世界史は、スペインから独立を勝ち取ったオランダ、無敵艦隊を破った新興国家イングランドを中心に動き始めるのです。



 世界史の表舞台から辺境になりつつあった、かつての世界帝国オスマン朝。実はもう一度世界の耳目を集めます。次回は第2次ウィーン包囲と帝国の衰退を描きます。
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