大オスマン帝国Ⅸ  滅亡への序曲

 ここに一つの伝説を述べましょう。カリブ海、ドミニカの南にマルティニーク島という島があります。フランスの海外県の一つで面積1128平方キロ、2011年現在で人口40万人。

 18世紀末ごろ、この島に姉妹のように育った下級貴族の娘がいました。従姉妹同士で年も近くとても仲良かったそうです。ある時二人は、良く当たると云う黒人老婆の占い師のもとを訪ねます。

 老婆は姉を占って言いました。
「貴方は二度結婚する。二人目の亭主はさえない男だが、大きな権力を握るだろう。お前さんもそれにあやかって王妃になる。しかし栄華は長く続かず寂しい晩年になるだろうね。孤独の中でこの島の事を懐かしく思いだすよ」

 次に老婆は妹の方を占います。
「これは驚いたね。あんたは奴隷になった後皇帝になる息子を産むよ。あんた自身も大きな権力を握るけど、異郷の地で空しく亡くなるだろうね」

 ショックを受けた姉を慰めながら二人は占い師の家を出ました。年長の娘の名はジョセフィーヌ・ド・ボアルネ。言わずと知れたナポレオン・ボナパルトの皇后です。一方年少の娘はエイメ・デュ・ビュク・ド・リヴェリといいました。二人は成長すると、カリブ海の片田舎で一生を終るのが我慢できず船に乗ってフランスへ向かいます。

 ジョセフィーヌはフランスに渡り1779年ボアルネ子爵と結婚しました。しかし浪費癖が酷いせいか間もなく離婚。当時フランス革命政府の実力者だったバラスの愛人に収まります。そこでさえない軍人だったナポレオンと知り合い、彼の猛烈な求婚に負け結婚しました。バラスが浮気性の彼女に飽きてきたためナポレオンに押し付けたという話もあります。その後の歴史は皆さんご存じの通り。

 問題はエイメの方でした。フランスへの船旅の途中船が海賊に襲われ人質となってしまいます。普通なら強姦の末殺されるか、よくて売春婦に落とされ安く売り飛ばされていたでしょう。ところが彼女の美貌は際立っていました。海賊たち(おそらくアルジェのバルバリア海賊)は、彼女をオスマン朝のハーレムに売れば大金が得られると思います。処女でなければ価値が下がるため強姦も免れたはず。こうして数奇な運命の末エイメはハーレムの奴隷女となりました。

 ハーレムには帝国各地から集められたそれこそ何千人もの美女がいます。スルタンの目に留まるのはほんの一握り。さらにスルタンの王子を産みその子がスルタンになる事など夢のまた夢だったでしょう。ところがその奇跡が彼女に起きました。第23代スルタン、アブデュルハミト1世(在位1774年~1789年)の目に留まったのです。おそらく、フランス系でカリブ海で育ったためエキゾチックな美貌だったのでしょう。

 エイメはスルタンに溺愛され、王子マフムトを産みます。しかし、皇后ではなかったためオスマン朝の伝統からいったら次のスルタンが即位する時処刑されるはずでした。奇跡はさらに続きます。1789年アブデュルハミト1世が死去すると甥セリム3世が即位しました。1807年セリム3世は改革を嫌うイェニチェリに廃位され、マフムトの異母兄ムスタファ4世が即位します。ところがムスタファ4世即位後セリム3世復位を訴える大反乱が起こりました。反乱軍に担ぎあげられる事を恐れ、幽閉中のセリム3世は処刑されます。

 反乱軍の首謀者、将軍アレムダル・ムスタファ・パシャは首都イスタンブールを制圧しました。セリム3世がすでに殺されていた事を知ったアレムダルは激怒、ムスタファ4世を廃位し幽閉します。ただ、スルタンがいないと帝国は動きません。傀儡であろうとなかろうと君主は必要なのです。そこで白羽の矢が立ったのは、背後に権門がいないマフムト王子でした。こうしてマフムトは即位し、マフムト2世(在位1808年~1839年)となります。

 エイメは、皇太后となりました。が、このままでは大宰相となったアレムダルの傀儡ですから権力がなく、いつ彼の都合で殺されるか分かりません。しかし、またしても幸運の女神が彼女とその息子に微笑みました。宮廷内の権力闘争でアレムダルが殺されたのです。宮廷内の実力者が相次いで権力闘争で亡くなったため、相対的にスルタンの権力が上昇します。こうして若年のスルタンを補佐し皇太后エイメは絶大な権力を握りました。

 エイメはオスマン帝国ではナクシディル・スルタンの名で呼ばれます。エイメは、従姉が皇后を務めるフランスと同盟を結びました。ところがジョセフィーヌが子供を産まない事を理由に離縁されたため、フランスとの同盟を破棄します。エイメは息子を補佐しナポレオン戦争、対露戦争、イェニチェリ反乱を戦い抜き9年後死去しました。晩年、少女時代に聞いた占い師の老婆の予言を思いだし感慨深いものがあったでしょう。まさに数奇な一生を送った美女でした。

 以上長々とエイメについて書いてきましたが、最新の研究ではナクシディル・スルタンはコーカサス出身だったという説が出てきています。ですからエイメの話はもしかしたら伝説にすぎないかもしれません。フランスとの同盟破棄云々も皇太后の個人的感情で決まるはずは無く、国際情勢上国益に沿って判断されたものであるはず。

 エイメの話は、この頃のオスマン朝を象徴していると思いあえて紹介しました。

 
 マフムト2世は、衰える国運を必死に支え諸改革を断行したスルタンでした。既得権益に胡坐をかき、帝国の癌となりつつあったイェニチェリ軍団を廃止したのも彼です。マフムト2世によって新式装備のムハンマド常勝軍が編成されます。イェニチェリは抵抗したものの、常勝軍の大砲の前に崩れ去りました。

 そういう努力も国際情勢の前には無力となります。ナポレオン戦争の影響で帝国の重要な領土エジプトが独立しました。アルバニア出身のエジプト総督ムハンマド・アリーはイェニチェリと共に帝国の癌だったマムルーク軍団を力ずくで排除、独自の軍を背景にオスマン帝国から離脱したのです。

 フランス革命の影響はオスマン帝国にも及び支配下の諸民族のナショナリズムに火を付けます。それまでのイスラム法の下、オスマン家の緩やかな専制では満足できなくなったのです。まずギリシャが独立戦争を起こし1829年独立。エジプトも二度の戦争の末1841年事実上独立しました。

 1853年にはロシアとの間にクリミア戦争が起こります。ロシアの領土拡張を好まない英仏が支援したためかろうじて勝利しますが、以後英仏はオスマン朝の内政に露骨に干渉しました。1878年には露土戦争で完敗、オスマン朝の命運は風前の灯となります。

 そして第1次世界大戦勃発、この戦争が帝国に止めを刺しました。次回最終回、トルコ革命と帝国滅亡に御期待下さい。
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