隋唐帝国Ⅹ  貞観の治

 皇太子李建成は決して無能な人物ではありませんでした。623年には群雄の一人劉黒闥(りゅうこくたつ)を河北館陶(現在の河北省邯鄲市近く)で撃破し滅ぼすなど軍功もあげています。ところが弟李世民があまりに有能すぎたため功を上げても霞んだのは事実でした。

 そういう彼の心の闇に接近したのが弟李元吉です。元吉は、あることないこと建成に吹き込み李世民が謀反を企んでいると信じさせることに成功しました。李建成は李元吉とともに父高祖のもとに参内し訴えます。最初は高祖も信じませんでしたが、高祖自身も息子でありながら自分の声望を上回る李世民に対し劣等感があったのかもしれません。二人に押し切られ李世民を除く事を黙認しました。

 まず李建成は、世民の力をそぐために謀臣房玄齢と杜如晦を遠ざけます。宮廷内の不穏な動きは李世民の秦王府にも届いていました。李世民は諜者を放ち李建成・李元吉一派の陰謀を察知します。そこで逆襲を決意し、626年6月4日皇太子李建成、弟李元吉が宮中に参内する途中玄武門で襲いました。一応建成陣営も用心して護衛兵を多数従えていたそうですが、李世民陣営が宮中の警備兵を抱き込んでいたため多勢に無勢、二人は討たれてしまいます。これが玄武門の変です。

 陰謀に加担していた者はその日のうちに捕えられ斬られました。李世民は事件の顛末を父高祖に報告します。父が黙認していたとははっきり言わなかったものの、李世民の静かな態度は逆に高祖には圧力となりました。結局、高祖は李世民に帝位を譲る事に同意します。太上皇に祭り上げられた高祖は隠棲し635年71歳で崩御しました。

 実の兄弟を殺し父から帝位を簒奪した形になった李世民は、この事件を生涯気に病みます。後世暴虐な皇帝との誹りを受けないためにも善政に努めました。これが支那史上屈指の名君と称えられる唐の太宗(在位626年~649年)です。彼の治世は、時の年号から貞観の治といわれ唐王朝だけでなく歴代支那王朝でも世の中がよく治まった時代だと評価されます。

 房玄齢、杜如晦、魏徴と名臣を排出し治安は安定し南北朝、隋時代と荒廃した国土は復興しました。太宗の政治は貞観政要という書物に纏められ後世帝王学の教科書となります。その中に有名なエピソードがあるので紹介しましょう。

 ある時太宗は臣下を前にしてこう下問しました。
「創業と守成、どちらが難しいだろうか?」

 文官筆頭の房玄齢は
「天下が乱れ群雄が各地で立ち上がっているとき、これを打ち破り従わせるのは至難の業です。故に創業が難しいと考えます」
と答えました。

 すると、直言の士として有名な魏徴はこれに反論し
「天子の位は天から授かり人から与えられるものですから難しくはありません。しかし人とは弱い者。一旦その位を得たら奢り高ぶり初心を忘れ結果的に庶民を苦しめる者も多いと聞きます。故に守成こそ難しいと愚考します」

 両者の意見を黙って聞いていた太宗はにっこり笑ってこう言いました。
「房玄齢は朕に従って天下を平定し長く艱難辛苦を耐えた。だから創業が難しいと考えた。魏徴は朕とともに天下を安定させ、これから勝手気ままな政治をすれば天下が乱れると思い、守成が難しいと言ったのだろう。二人の意見はもっともだ。しかしもう創業の時期は終わった。今後は守成の難を諸君と共に克服していきたい」

 このように太宗は、たとえ気に入らない意見や耳に痛い意見でも正しい事は受け入れ実行していきました。そこに私心は無かったと思います。むしろ臣下に諫言を奨励したくらいです。

 内政では三省六部の中央官制を整備し、国力の充実に努めます。その力を持って629年、北方で強大化していた突厥を討ちました。この戦いでは将軍李勣・李靖らが活躍し630年突厥の頡利可汗を捕虜にするという大功を上げます。遊牧帝国突厥は崩壊し、北方や西域の遊牧諸部族が次々と唐に服属、入朝するようになりました。彼らは太宗に天可汗の称号を奉上し崇めたそうです。

 これを見ても、遊牧民族たちが唐王朝を漢人の国ではなく自分たちの仲間である鮮卑族が建てた王朝だと見ていた事になります。可汗とは遊牧民の首長の称号だからです。しかし唐王朝は無数の漢人を統治する都合上秦の名将李信の子孫を称します。隴西李氏と言えば、漢代飛将軍李広や李陵を出した武門の名家で漢人なら誰でも知っている家柄(日本では源氏とか平氏、藤原氏くらいのメジャー)ですが、さすがにこれを信じる者は当時でもいなかったと思います。唐王朝はその出自がコンプレックスだったのでしょう。

 支那史上でも屈指の明君太宗ですが、やはり晩年陰りを見せます。後継者問題で揉め皇后の兄長孫無忌の意見を容れ最も凡庸な第9子李治(後の高宗)を皇太子と定めました。これが武韋の禍(ぶいのか)と呼ばれる唐王朝の混乱期を招くこととなります。649年太宗崩御、享年51歳。


 次回、則天武后から始まる唐王朝崩壊の危機を描きましょう。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

鳳山

Author:鳳山
FC2ブログへようこそ!

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

九州戦国史~室町末期から江戸初期まで~
検索フォーム
QRコード
QR