源平合戦Ⅳ 頼朝立つ

 大番役というのは平安末期から室町時代初期にかけて地方の武士たちが京都や鎌倉の警護をする役目でした。平安末期の大番役は、朝廷・院・摂関家が対象で任期は3年。すべて武士たちの自弁ですからその負担は大きかったそうです。ただ一方、中央の権門と繋がりができるため、官位を貰って帰国するとその地方で大きな権威を持てるメリットもありました。

 伊豆国田方郡北条を領する小豪族北条時政(1138年~1215年)も、ようやく3年の大番役を終え帰国の途につきます。後妻として京の下級貴族牧宗親の娘(あるいは妹とも?)牧の方を伴い少々浮かれていたのかもしれません。北条館に入ると、長男三郎宗時が留守中の様々な報告をしました。宗時は最後に言いにくそうに妹政子の話をします。黙って聞いていた時政は、宗時の話が終わる前に激怒していました。

 あろうことか長女政子は、流人として平氏に監視役を命じられてていた源頼朝と夫婦約束をしたというではありませんか。時は平氏全盛時代。監視役が流人を婿に迎えるなど言語道断。平氏に睨まれては滅亡もあり得ました。時政は、婚期の遅れていた(当時二十歳すぎ)政子のために、平氏の伊豆目代(知行国の代官)山木判官兼隆と婚約を進めていましたから尚更でした。

 宗時は父には黙っていましたが、関東の武士たちで平氏政権の恩恵にあずかれない者たちは不満を持っていました。政子と頼朝の仲を取り持ったのも彼ら若い関東武士だったという話があります。時政は政子を厳しく叱り強引に山木兼隆との婚儀を進めました。ところが婚礼のその日、政子は手引きする武士たちによって山木館を脱出、頼朝の待つ伊豆山権現に至ります。時政の面目丸潰れですが、事ここに至っては如何ともしがたく渋々二人の仲を認めるしかありませんでした。

 時に源頼朝(1147年~1199年)32歳。実は以前にも伊豆の豪族伊東氏の娘と恋仲になり子供までもうけますが、伊東祐親は平氏を恐れ無理やり離縁させ子供は殺害、娘も身分の低い者と結婚させました。平治の乱で流罪になって20年弱、頼朝はひたすら読経の日々を送り戦乱で亡くなった親兄弟の菩提を弔います。これは平氏に睨まれないためですが、案外本気で暮らしていたのかもしれません。

 根なし草の頼朝は、小さいとはいえ伊豆国の豪族北条時政の娘婿となってはじめて根を持ったとも言えました。このような頼朝のもとに平氏に不満を持つ近隣の豪族たちが集まります。ほとんどは伊豆周辺の者たちですが、中には相模国の大豪族三浦氏もいました。

 頼朝は流人とはいえ、乳母の甥三善康信から京の情勢を定期的に受け取りある程度は平氏政権の実態を理解していました。以仁王と源三位頼政の挙兵・敗死も頼朝は知っていました。ある時、頼朝の伯父新宮十郎行家から以仁王の令旨が届けられます。届いたのは以仁王挙兵直前だったとされますが、現実問題当時の頼朝に挙兵は不可能で、黙殺するのみでした。

 ところが、反乱鎮圧後以仁王が全国の源氏に令旨を出していた事が発覚し伊豆の頼朝のもとにも詮議の手が及びつつありました。こうなると言い逃れは不可能です。頼朝は、好むと好まざるにかかわらず挙兵せざるを得なくなります。1180年8月17日頼朝は伊豆における平氏の代官山木兼隆の屋敷を襲撃しました。何の備えもしていなかった兼隆はあっけなく討ち取られ、頼朝は瞬く間に伊豆国を制圧します。付き従う者は北条時政、宗時父子、工藤茂光、土井実平、岡崎義実、天野遠景らです。これと時を同じくして相模国三浦の豪族三浦義澄、和田義盛ら三浦一族も頼朝に合流すべく出陣しました。

 平家側の動きは素早く、鎌倉権五郎景政の流れをくむ相模の大豪族大庭景親を大将とする三千騎が頼朝と三浦勢の合流を阻止すべく伊豆国境の石橋山で迎え撃ちます。この時頼朝勢はわずか三百騎、とても勝てるはずがありません。8月23日石橋山の合戦で大敗した頼朝勢は散り散りになりました。一時頼朝一行は山中の老巨木の洞に隠れたそうですが、そこに平家方の落ち武者狩りが接近します。頼朝一行を発見したのは大庭景親の一族梶原平三景時でした。ところが景時は驚く事に、味方にそれを報告せず見逃します。景時も本心では平氏に不満を持ち頼朝の将来性に賭ける一人でした。この時の功績で、帰順後景時は鎌倉政権で重用されることになります。

 北条三郎宗時は敗戦の報を三浦一族に届けるべく単騎駆け抜けようとしますが、平家方の追手に捕まり斬り死にしました。石橋山の敗北を聞き、三浦一族の当主義明は本拠衣笠城に籠城します。これは嫡男義澄や一族和田義盛らを逃すための時間稼ぎでした。衣笠城は平家の大軍に攻められ落城。義明も自刃します。

 頼朝一行は、海路安房国に逃れました。そこに北条氏や三浦氏などが続々と集まります。安房で兵を整えた頼朝は房総半島を北上し一路鎌倉を目指しました。これが頼朝の開く鎌倉幕府の第一歩となるのです。



 次回は、頼朝の関東平定と富士川の合戦を描きます。
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