奥六郡と仙北三郡の生産力

 実は、独眼竜政宗にはまってからその興味が東北の歴史に移りまして前九年の役、後三年の役に関する長編を書こうかと思案しているところです。ただ、阿波戦国史、長宗我部三代記など四国ものの予定もありまして、いつになるか分かりません。

 その前に歴史シリーズはエネルギーを使いますので夏バテ気味の私としては秋以降になるかなと漠然と思っております。先に資料は集めておりますので、シリーズの前段階として前九年、後三年両役の舞台になった奥六郡、仙北三郡の生産力に関して書いておこうと思います。

 奥六郡というのは、9世紀から10世紀にかけて岩手地方で最初に成立した郡です。北上川沿いに開発され、南から胆沢、江刺、和賀、稗貫、紫波(斯波)、岩手の六郡を指します。岩手県の太平洋側は閉伊(へい)の族というおそらく蝦夷の一派の異民族が住んでおり、現在の青森県に当たる糠部郡、津軽郡も蝦夷の勢力が強すぎて設置されるのは後になります。ですから平安中期ごろはこの奥六郡が朝廷=日本の最前線と言ってよいところでした。

 一方、仙北三郡は現在の秋田県内陸部横手盆地を中心とした地方で、南から雄勝、平鹿、山本(仙北)の三郡を言います。実は現在の秋田・山形に当たる出羽国のほうが陸奥より開発が早く733年には出羽柵(秋田市付近)が築かれ、のちに秋田城が築城されます。と言っても戦国期の城ではなく政庁というもので、最前線ですからそれを柵で囲むという形状でした。

 前九年の役を起こした安倍一族の領地である奥六郡と清原氏の勢力範囲仙北三郡の石高を記しましょう。しかし江戸初期の数字ですから、あくまでイメージです。平安中期は江戸期の半分くらいの生産高ではなかったかと思います。

【奥六郡】

胆沢郡  5万1千石
江刺郡  2万9千石
和賀郡  1万2千石
稗貫郡  1万3千石
紫波郡  1万4千石
岩手郡  1万石

計    12万9千石


【仙北三郡】

雄勝郡  3万3千石
平鹿郡  2万7千石
山本郡  6万7千石

計    12万7千石


で両者はほぼ匹敵します。いくら豊富な金山で莫大な財力を誇っても兵士の頭数だけはどうにもならなくて、人口比で最大動員数が決まります。人口は石高に匹敵(特に東国では)しますから、外征兵力が人口の3%として奥六郡3870人、仙北三郡3810人。短期の国内戦なら7%までは可能ですから、それぞれ9030人、8890人となります。平安中期はその半数として、それぞれ推定2000人にも満たない兵力で戦ったことになります。

 どう考えても万単位の大規模な戦争にはならず、これなら源氏の私兵軍でも勝てそうです。そして実際勝ちました。
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