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大清帝国Ⅶ  十全老人

 唐の太宗と並び支那史上一二を争う名君と称えれた康熙帝ですが、さしもの彼も晩年には猜疑心が強く頑固な老人になっていました。もともと満洲人は野蛮で支那風の礼儀などあって無きが如きものでしたが、満洲族貴族たちは支那の皇帝とは北方遊牧民族のカーンに毛が生えた程度だろうと軽く考えていたそうです。

 彼らは康熙帝の皇太子に取り入り、漢風の礼式にやかましい康熙帝に対し満洲族の風俗に戻すよう進言しました。皇太子もすっかり感化されついには皇位を狙う陰謀説すら流布します。怒った康熙帝は、皇太子を廃嫡し幽閉してしまいました。これを聞いた廷臣たちは身を投げ出して泣いたといいます。康熙帝をもってしても満洲族の伝統を完全に無くすことはできなかったのです。

 事件の後、康熙帝は後悔しますが帝国の安寧のためには次の皇太子を決めなければなりません。康熙帝には35人の皇子が居ました。一番有力視されたのは康熙帝に溺愛され軍の司令官としても活躍していた第14皇子です。ところが康熙帝が指名したのは45歳と壮年の第4皇子でした。これが雍正帝(在位1722年~1735年)です。

 康熙帝は在位61年にも及び1722年68歳の天寿を全うしました。後を継いだ雍正帝はさすがに名君康熙帝の眼鏡にかなっただけに、史上まれにみる勤勉な皇帝でした。13年の在位中朝は6時に起き夜12時まで政務を見たと言われます。贅沢を排し質素倹約を実行、戦費のかかる外征を極力控えたため莫大な余剰金が生まれました。次の第6代乾隆帝(在位1735年~1796年)の時代清が最大版図を築いたのも雍正帝のおかげだったと言えるでしょう。雍正帝の死因は過労死ともされますが、彼の日常を見ると納得できます。

 乾隆帝は父雍正帝の死を受け25歳で即位します。父や祖父と違い派手好きな性格だった彼は祖父や父の残した財産を使い盛んに外征を繰り返す皇帝でした。すでに雍正帝によって皇位継承法が定められこれまでのようなお家騒動は起こらない態勢になっていました。

 乾隆帝は晩年生涯に十度の勝利を上げたと自慢し、自ら十全老人と称します。中でも康熙帝以来北方の憂いであったジュンガル部は乾隆帝によって完全に滅ぼされました。最後の遊牧帝国と呼ばれるジュンガル部は、ガルダン・ハーンの死後後継者争いで分裂し一部が清に投降するようになります。乾隆帝はこの機会を逃さず1755年大軍を送り込んで抵抗を排除、ジュンガル部を構成するオイラート部を4つに分割しました。ジュンガルの残党はなおも抵抗しますが、1779年清軍が持ち込んだ天然痘によってほとんどが死に完全に平定されます。

 これにより唯一国境が画定していなかった西北部に新疆省が置かれました。新疆とは新たな領土という意味で、現在の新疆ウイグル自治区、東トルキスタンを指します。乾隆帝も在位60年を数えました。乾隆帝は外征の過程で天山ウイグルのイスラム教国を滅ぼします。その国には、生まれながらにかぐわしい香りを発散する香妃という絶世の美女が居ました。乾隆帝はこの美女欲しさにイスラム教国を滅ぼしたとも言われます。

 捕虜となった香妃は北京に連行されますが決して乾隆帝に心を許そうとしませんでした。困り果てた皇帝は女官に彼女の機嫌を取らせ真意を尋ねさせます。すると香妃は懐に隠した懐剣を見せ「最愛の夫と一族を滅ぼした恨みは決して忘れません。皇帝が無理やり私を手籠めにしようとするなら、この剣で自害する覚悟です」と答えました。

 このことを伝え聞いた乾隆帝の母孝聖皇太后は、香妃の覚悟を知り望み通り死を与えました。乾隆帝は香妃の自害を知って嘆き悲しみます。数億の人民の頂点に立つ絶対権力者も一人の美女の心を掴むことはできませんでした。乾隆帝の時代、清は支那ほんどはもとよりモンゴル高原、チベット、東トルキスタンに広がる歴代支那王朝の最大領域になります。まさに清の黄金時代でした。

 ところが満つれば欠くるが世の習い。1796年87歳という高齢で乾隆帝が崩御した後、清は坂道を転げ落ちるがごとく衰退します。その原因はイギリスをはじめとする西洋列強の進出でした。最初の破局は阿片戦争です。次回、イギリスの進出と阿片戦争について語りましょう。
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