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大清帝国Ⅸ  太平天国の乱

 19世紀初頭、広東省広州付近に客家出身の貧しい若者がいました。役人を志し科挙を受けようとしますが最初の県試、府試の段階で失敗。失意の日々を送ります。熱病にかかった男は、うなされていた夢枕で自分が救世主になるという予言を受けました。

 若者の名を洪秀全といいます。孔孟の書を捨てキリスト教に救いを求めました。しかし聖書など全く学んでいなかった洪秀全は勝手な解釈で拝上帝教を説き始めます。最初はだれ一人相手にしませんでしたが、当時の清は賄賂が横行し庶民は重税に喘いでいました。拝上帝教はヤハウェを天父としイエスを天兄、洪秀全を天弟として自分が神の意志を地上において代行するという、キリスト教とは似ても似つかない邪教でしたが、人々の中には藁をもすがる思いで入信する者が出てきます。

 洪秀全の拝上帝会は燎原の火のように広がり、1851年広西省金田村において挙兵、太平天国を名乗りました。清の正規軍八旗兵は贅沢に慣れ訓練もサボるようになり軍隊としての力を失います。八旗兵を補助するために動員された漢人部隊緑営ですら同様でした。清軍は寄せ集めの太平天国軍に連戦連敗、反乱軍は北上を続け湖南、湖北を席巻、1853年武昌を落とします。清はこの頃アロー号事件で英仏連合軍と戦争を行っており太平天国に本格的対処をする余裕がありませんでした。

 1853年南京を占領すると、そこを天京と改称し太平天国の首都と定めます。この時南京市民を大量に虐殺したそうです。官軍は連戦連敗を繰り返し北京の朝廷は重苦しい雰囲気になりました。そこで朝廷は窮余の策として各地に郷勇と呼ばれる義兵を募り太平天国の反乱軍に当たらせることにします。

 朝廷で礼部右侍郎の職にあった曽国藩(1811年~1872年)は母の死を受け喪に服するために郷里湖南省長沙府に戻っていました。朝廷が郷勇を募っていることを知った曽国藩は郷里の若者を組織し湘軍という義兵を作ります。湘軍はやる気のない官軍と違い故郷を賊軍から奪還する闘志に燃えていました。1854年武昌を回復したのを皮切りに太平天国軍を追い詰めていきます。ところが湘軍があまりにも力をつけたことに警戒した朝廷は恩賞を与えず曽国藩に兵部侍郎の待遇を与えたのみでした。1855年、太平天国の逆襲で武昌が再び失陥します。

 曽国藩は、部下の李鴻章に命じ彼の故郷安徽省蘆州府合肥県に戻らせました。李鴻章(1823年~1901年)はここで淮軍を組織。曽国藩は1年をかけて湘軍を立て直します。朝廷は湘軍を曽国藩の私兵とみて危険視しますが、官軍が役に立たない以上彼に頼らざるを得なくなりました。朝廷は曽国藩を両江(江蘇省、安徽省、広西省)総督に任命し欽差大臣を加えます。

 安徽省から江蘇省に渡った李鴻章の淮軍は、1864年江蘇省の大半を太平天国から奪い返しました。安徽省を攻略中だった曽国藩の湘軍は、淮軍と協力し太平天国の首都天京包囲の態勢を作ります。太平天国は愚かにも西洋列強の利権が複雑に絡む上海に手を出したため英仏は危機感を持ちました。そこでイギリス軍人ゴードンを指揮官とする常勝軍なる傭兵部隊を組織、太平天国に当たらせます。

 1864年、太平天国の首都天京は、曽国藩の腹心左宗棠が指揮する湘軍、李鴻章の淮軍、ゴードンの常勝軍の三方から包囲攻撃を受けました。曽国藩は天京を兵糧攻めにします。城内の食糧が欠乏する中、草木を食べて飢えをしのいだと言われます。教祖洪秀全は病気となり死去しました。1864年7月19日、連合軍の総攻撃を受け天京陥落。洪秀全の墓も暴かれ焼かれます。

 その後も太平天国の残党たちは各地で抵抗を続けますが、1870年代までには完全に鎮圧されました。



 太平天国の乱が終結したとき、清王朝の威信は完全に地に堕ちます。八旗兵も緑営も役に立たず、反乱鎮圧に功績のあった軍閥たちが朝廷を牛耳るようになります。さすがに曽国藩は地方官としては最高位の直隷総督となった時湘軍を手放しますが、後を引き継いだ李鴻章は子飼いの淮軍を手放さず官軍に引き上げました。これが北洋軍の始まりで、李鴻章は軍隊の力を背景に曽国藩の後を受け直隷総督、北洋通商大臣(外交と貿易の全権を持つ)として清国一の実力者にのし上がります。

 李鴻章は、同治帝の母西太后の信任を受け朝廷を支配するようになりました。同じ曽国藩門下の左宗棠は1866年陝甘(陝西省と甘粛省)総督に転じ、イスラム教徒の反乱鎮圧に尽力します。河西回廊から新疆に至る反乱を鎮圧するなど目覚ましい活躍をしますが、清仏戦争が起こると欽差大臣として任地の福建に赴任、そこで病を得て亡くなりました。享年72歳。

 李鴻章が朝廷を支配することができたのは、曽国藩門下で自分と並び立つと評価された政敵左宗棠がいなくなったからです。李鴻章は清国の軍事・外交を一手に握り清朝末期に重要な役割を果たしました。


 次回最終回、日清戦争・義和団の変・辛亥革命と清の滅亡を描きます。
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