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世界史の胸糞悪くなる話  幼王エドワード5世の末路

 エドワード5世(在位1483年)は薔薇(ばら)戦争中に即位したヨーク朝のイングランド国王です。わずか12歳で即位し、戴冠式挙行前に強制退位させられロンドン塔に幽閉、その後行方不明になっています。

 その前に薔薇戦争って何?という方のために過去記事を紹介↓
  https://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/54036103.html
簡単に概要を追っただけですが、一応全体の流れはつかめるかと?


 エドワード5世は、父王エドワード4世(在位1461年~1483年、ただし途中廃位あり)がフランス遠征の準備中わずか40歳で急死したことを受け即位しました。12歳の新国王にイングランドの国政ができるはずありませんから、叔父グロスター公リチャードが摂政となってこれを補佐することになりました。ところがこのリチャード、イギリス史上でも指折りの極悪人と評されるだけあって、なかなか素敵な性格をしていました。

 まずリチャードは、先代エドワード4世に仕えた側近リヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルに謀反の言いがかりをつけ逮捕処刑してしまいます。ついで、議会を動かし先王エドワード4世と妻エリザベス・ウッドヴィル(5世の生母、先に処刑されたアンソニーの娘)の婚姻は無効、よって庶子であるエドワード5世の王位継承は無効であると決議させました。

 まず外戚を殺して王太后を追い落とすなど、その用意周到さには舌を巻きますが狡猾さが際立って良い印象はありません。結局、幼王エドワード5世は弟ヨーク公リチャードと共にロンドン塔に幽閉されます。代わって王位についたのはグロスター公リチャードでした。即位してリチャード3世(在位1483年~1485年)となります。

 リチャード3世、シェイクスピアの史劇『リチャード3世』でも有名な通り稀代の奸物という評価が一般的ですが、最近では再評価する声も出てきているそうです。

 悪辣な手段で王位を簒奪したリチャード3世ですが、栄華は長く続きませんでした。1485年、ヨーク朝の対抗馬ランカスター朝の流れをくむリッチモンド伯ヘンリー・チューダーと激突したボズワースの戦いに敗北し戦死してしまいます。ヘンリー・チューダーはウエストミンスター寺院で即位し自らのチューダー朝を開きました(ヘンリー7世)。

 ところで、ロンドン塔に幽閉され歴史から忘れ去られたエドワード5世ですが、弟と共に叔父リチャード3世に暗殺されたという説が有力でした。しかしこれも最近の研究では、むしろ王位継承の邪魔になるとしてヘンリー・チューダーが殺したのでは?という者もいます。彼はエドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨーク(エリザベス王太后の娘)と政略結婚し自らの正当性を訴えましたから、なおさら邪魔だったのでしょう。

 1674年、ロンドン塔の改修をしていた作業員が子供の遺骨が入った木箱を発見、1678年にはウエストミンスター寺院に安置されます。1933年専門家が鑑定したそうですが、性別年齢など発表されませんでした。穿った見方をすれば、真相を発表すれば現在の王室にも迷惑がかかると思ったのかもしれません。

 現在の王室はハノーヴァー朝(ウィンザー朝)でチューダー朝とは直接関係ありませんが、チューダー朝、その後のスチュアート朝、ハノーヴァー朝と母系で繋がっているため、まるっきり無関係とも言えないんです。下手したら王位継承の正当性すら疑いかねない事態だけに、真相は闇に葬られました。

 自らの意思に関係なく、勝手に廃位させられなすすべもなく殺されたエドワード5世。あまりにも過酷な運命ですね。こういった胸糞悪くなる話が世界史にがごろごろしているんですが、こういう人たちにもたまには注目しなければいけないと思い記事にしました。
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