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イエメン王と予言

 世界史には時々不思議としか言いようのない出来事があります。この話も資料がないのでどこまで本当の話か分からないのですが、1918年から1962年まで今の北イエメンの地にシーア派の一派ザイード派のイマーム(指導者の意味。特にシーア派では最高指導者を意味する)であるラシード家の支配するイエメン・ムタワッキリテ王国が存在しました。

 ザイード派のイマーム自体は897年以来存在していたのですが、宗主国オスマン朝が崩壊したために独立したのでした。その初代王ヤヒヤー・ムハンマド・ハミードゥッディーン(在位1918年~1948年)は幼少時ある預言者から不思議な予言を告げられます。すなわち「決して写真を撮らせてはいけません。もし誰かに撮られたら貴方は不慮の死を迎えるでしょう」と。

 以来ヤヒヤー王は決して誰にも写真を撮らせませんでした。もし無断で撮影した者がいれば厳罰に処すという布告さえ出していたと言われます。現代人は迷信と一笑にふすでしょうが、ティムールの墓の一件(ティムールの墓を暴く者が出る時大戦争が起こるという予言。実際その2日後独ソ戦が始まった)にも代表される通り、イスラム世界ではおそらく今でも信じられているのでしょう。

 当時のイエメン王国は閉ざされた国でしたが、この不思議な噂はヨーロッパ諸国にも知られました。ある時王に面会を許されたイタリア人画家が、王の顔を完全に覚えてしまい思わず肖像画を描いてしまいます。彼の頭の中にも不思議な予言の話が残っていたのでしょう。

 イタリア人画家に悪気はなかったと思いますが、その肖像画はアメリカ人の作家リプレーに渡ります。彼は世界中の不思議な話を集めて発表し人気を博していた作家で、王の肖像画についても『信じようと信じまいと』というタイトルで予言を紹介し肖像画を載せてしまいました。イエメン王もまさか肖像画がそのような形で流出しているとは思わず、しかも遠くアメリカの話なので罰することもできませんでした。これが1948年2月20日。

 同じ日、イエメンでは王族のクーデターが勃発。ヤヒヤー王は反乱部隊の手によって殺害されてしまいました。偶然の一致と言ってしまえばそれまでですが、あまりにも不思議な話です。この時同時にヤヒヤー王の16人の王子のうち3人も暗殺されたそうです。イエメン国王暗殺、クーデターのニュースはその日アメリカの夕刊に速報として報じられました。

 イエメン王国は政情が安定せず、結局1962年9月26日3代国王ムハンマド・アル=バドルの時陸軍のクーデターで王座を追われ滅亡します。ムハンマド王はサウジアラビアの後押しで亡命政権を樹立エジプトの後押しを受けた共和国派と泥沼の内戦(イエメン内戦)になりました。内戦は共和国派が優勢となり、ムハンマド王は1970年イギリスに亡命、1996年死去します。

 イエメンはその後南イエメンと合併するも南北対立が激化、結局また内戦になりました。その戦いは現在になっても解決せずサウジアラビア、イランはもとよりアラブ諸国を巻き込み泥沼の戦いを続けています。
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