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チューダー朝Ⅵ アルマダ海戦(終章)

 即位したエリザベス1世は、ウィリアム・セシルを国務卿、ニコラス・ベーコンを国璽尚書とするなど人事を固めます。次に手を付けたのは宗教政策でした。それまでカトリックかプロテスタントかはっきりしないイングランド国教会をはっきりプロテスタント寄りに改めました。ただ急進的プロテスタント(カルヴァン派)である清教徒は排除。これが後年清教徒革命の遠因となります。

 エリザベス1世が即位したことを知ると、形式上義兄に当たるスペインのフェリペ2世が接触してきました。当時スペインは本国だけでイングランドの倍以上の人口を持ち、国家予算に至っては5倍。加えて新大陸からの膨大な銀によって太陽の没せぬ帝国でした。レパントの海戦は1571年ですが、すでにカトリックの盟主としてオスマン朝との対決は始まっており、1568年に始まるオランダ独立戦争もすでにネーデルラントでは不穏な空気が漂っていました。

 フェリペ2世は、エリザベス1世に結婚を申し込みます。あわよくばイングランドを取り込みネーデルラントに対する後方策源地にしようという目論見でした。メアリー1世時代、スペインとフランスの戦争に巻き込まれカレーを失った苦い経験から、エリザベス1世はこれを拒否します。その際フェリペ2世に送った返事は後世有名になりました。

 「私はすでにイングランドという国と結婚している」

 エリザベス1世は生涯を通して未婚を通します。ただ愛人は何人かいました。愛人はいても、彼らを国政に介入させなかっただけでも彼女の凄味が分かります。異母姉メアリー1世が卵巣腫瘍でなくなったように、エリザベス1世も子供の出来ない体だったのではないかと言われます。それもあって未婚を貫いたのでしょう。そればかりか、結婚という餌で諸外国を操るしたたかさも持っていました。

 ここに一人の女性が登場します。彼女の名はスコットランド女王メアリー。同じ名前がたくさん出て混乱されるかもしれませんが、彼女こそエリザベス1世の異母弟エドワード6世と結婚が画策された人物でした。エリザベス1世とは親戚(ヘンリー7世の娘マーガレット・チューダーの孫)にあたります。フランス王フランソワ2世と結婚するも夫が急死、若くして未亡人となりました。再婚問題で紛糾し祖国スコットランドに帰国、有力貴族ダーンリー卿ヘンリーと再婚します。

 エリザベス1世の即位にはイングランド国内からも疑義を持たれており、女王に不満を持った貴族たちはチューダー家の血を引くスコットランド女王メアリーに期待しました。エリザベス1世とメアリー、永遠のライバルと目されることが多いですが、彼女の存在を目障りに思ったエリザベス1世は、スコットランドの不平貴族を使嗾し反乱を起こさせます。反乱は成功し1568年メアリーはスコットランドを叩き出されました。すると彼女は、陰謀の張本人であるエリザベスのもとに亡命するのです。

 最初はエリザベス1世も、メアリーを粗略には扱わなかったそうですが、事あるごとにイングランド王位継承権を主張するメアリーを疎み最後は反逆の汚名を着せて処刑しました。1587年の事です。44歳でした。

 フェリペ2世との結婚を断ったことでスペインとの関係は冷え込みます。一時はスペインの宿敵フランスと結ぶことを考えるも、ちょうど1568年ネーデルラントで反乱が勃発、これを利用することとしました。ネーデルラントは南部に欧州毛織物工業の一大中心地フランドル地方を擁するスペインのドル箱でした。資料がないのではっきりとは分かりませんが、スペイン国家財政の3分の1くらいはネーデルラントが叩き出していたと思います。

 カルヴァン派プロテスタントが多いネーデルラントは、対オスマン朝の戦争で重税を課せられ不満がたまっていました。スペインは、カトリックの盟主と祭り上げられ新大陸からの莫大な銀さえ湯水のごとく軍費で消えていたのです。後知恵ですが、この銀を国内産業育成に使っていれば現在のスペインの凋落はなかったかもしれません。

 エリザベス1世は、ネーデルラントのカルヴァン派を支援します。と言っても経済力でスペインと太刀打ちできませんから、これに打撃を与えるため新大陸の銀に目を突けました。彼女はフランシス・ドレイクなどの海賊を手懐け私掠船免状を発行。新大陸から出港するスペインの銀輸送船団を襲わせました。ただ、スペインは多くの戦艦ガレオン船に守られた数十隻の大輸送船団を組み付け入る隙を与えません。懐かしの光栄シミュレーションゲーム大航海時代を遊んだ方ならご存知だと思いますが、多数の大砲で武装したガレオン船の中に突っ込むのは自殺行為でした。

 当時世界最大の銀鉱山はボリビアのポトシ銀山でした。ポトシの銀は現地で精錬されペルーから輸送船団に乗せられます。太平洋を北上した船団はパナマに至りました。パナマからカリブ海側に水路あるいは陸路で運ばれ、スペイン行きの大輸送船団に積み替えられるのです。ドレイク達私掠船団はこの積み替えの瞬間を狙います。敵船団が最も脆弱な状態だったからです。海賊ドレイクはイギリスでは英雄ですが、被害者のスペインでは蛇蝎のごとく嫌われました。

 一つ一つの損害は軽微でも、それが重なると馬鹿にならない額になります。最初は弱小国として相手にしていなかったフェリペ2世ですが、我慢の限界を超えイングランド討伐を決めました。1571年レパントの海戦で強敵オスマン海軍を破ったスペイン海軍は日の出の勢いでした。その艦隊は無敵艦隊(アルマダ)と呼ばれます。

 1588年5月、無敵艦隊はポルトガル(1580年併合)のリスボン港を出発。総勢130隻。陸兵1万5千が同乗していました。これはイングランドに上陸し一気に征服するためで、当時のイングランドの動員兵力から言ってまず勝てない数でした。勝負はスペイン軍の上陸を許したら終わり。海上で撃破するしかありません。エリザベス1世は、自国の運命を握る艦隊司令官にフランシス・ドレイクを任命します。イングランド艦隊は197隻でしたが、小型船が多く著しく劣勢でした。ただ鈍重な大型船が多い無敵艦隊に比べ快速船を集め機動力で勝っていたのが唯一の強みとなります。

 同年7月30日、両軍はイングランドのプリマス沖で初めて激突します。艦隊司令官ドレイクは、真っ向からぶつかる愚を避け機動力を生かして遠くから長射程砲で攻撃、確実に敵を削りました。さながら巨大な象に立ち向かうハイエナの群れような戦いぶりです。ドレイクにとってはこの戦法しかなかったでしょう。ただ、海のゲリラ戦ともいうべきイングランド艦隊のおかげで、無敵艦隊は当初の予定を狂わされます。フランドルに寄港し、現地のスペイン主力軍を搭載、イングランドに上陸して一気に叩くはずが、イングランド艦隊がハイエナのように食らいついて離さないためドーバー海峡を北へ北へと追いやられました。

 追えば逃げる、無視したら食らいつく、このような戦いが何日も続けば、さしもの無敵艦隊も士気が低下します。一時無敵艦隊はカレー港に退避します。ところがドレイクは火船でこれを攻撃、無敵艦隊の士気は崩壊します。結局散り散りになって各々スペインに帰り着く手はずとなりました。集団で行動すれば勝てないにしても火力で勝る無敵艦隊はここまで多くの損害を受けることはなかったかもしれません。最悪の選択をした無敵艦隊は、ブリテン島を一周する形で北回り航路で脱出を図ります。まさに死に至る航海でした。

 執拗なイングランド艦隊の追撃を受け、戦艦(ガレオン船)11隻喪失、戦死者600名、戦傷者800名、捕虜397名、難破行方不明54隻、遭難者2万という大損害を出します。スペインに帰り着いたのはわずか67隻だったと伝えられます。

 歴史上これをアルマダ海戦と呼びます。ただ損害は大きくとも強力な陸軍は健在だったためスペインはまだまだ強大でした。この勝利はエリザベス1世のイングランドが弱小国を脱皮し列強の一角に躍り出たにすぎません。

 エリザベス1世の晩年を記しましょう。勝利したとはいえスペインとの戦争で国庫は底をつきかけていました。当時イングランドは第一次囲い込み運動が起こり大地主が羊毛生産のための土地を独占し、多くの貧農が地方から叩き出されます。囲い込みによる経済難民は社会問題になり、エリザベス1世が『エリザベス救貧法』を発布するもほとんど効果がありませんでした。

 困難な状況の中、エリザベス1世は毛織物工業をはじめ製鉄、石炭、火薬、石鹸、製紙などの新興産業を育成し後の工業大国イギリスの基礎を作ります。ただ台所は火の車で、王領地の5分の1を売却しなければならないほどでした。エリザベス1世はイギリスにおける絶対王政の代表と目されることが多いですが、内情はこのように苦しかったのです。

 晩年は健康状態を悪化させ1603年ロンドン・リッチモンド宮殿で崩御します。享年69歳。イギリス人たちは彼女の事を「良き女王ベス」と称えました。確かに彼女がいなかったら後の大英帝国は存在しなかったかもしれません。



 エリザベス1世に子がなかったので、枢密院はヘンリー7世の血を引くスコットランド王ジェームズ6世を次のイングランド国王に選出します。エリザベス1世の死と共にチューダー朝は断絶、ジェームズ(イングランド王としてはジェームズ1世)のスチュアート朝が始まります。皮肉なことにジェームズはエリザベス1世が処刑したスコットランド女王メアリーの長男でした。




                                (完)
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