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大内氏の防長平定  前編

 大内氏に関しては過去何度か記事にしています。

 周防大内一族前編
 周防大内一族後編
 大内氏の滅亡と厳島の合戦

です。
 
 それだけ思い入れの深い一族なのですが、今回『山口県の歴史』(三坂圭治著 山川出版社)で大内氏の周防・長門(現在の山口県)平定の詳しいいきさつが分かったのでご紹介したします。


 さて、話は大きく遡り源平合戦の時代。源頼朝、木曽義仲の挙兵で畿内にも不穏な空気が漂っていました。南都の興福寺、東大寺などの寺院勢力は斜陽の平家を侮り露骨に反抗的態度を示します。怒った清盛は五男重衡に大軍を授け1181年1月南都を討たせました。この時東大寺の大伽藍は兵火を受け焼け落ちます。

 清盛の死後早くも大仏再鋳の議が起こり、後白河法皇は藤原行隆を勅使として奈良に派遣しました。現地を見た行隆は余りの惨状に呆然とし、同行していた鋳工たちもとても再建できないと尻込みします。そこに一人の老僧が近づき「私が東大寺再建の大事業を成し遂げましょう」と名乗り出ました。この老僧こそ重源(ちょうげん)でした。

 後白河法皇は、重源の申し出を喜び彼を東大寺の大勧進(寺社仏像の造営・修復のために寄付を集める役目)に任命します。こうして重源は全国を回り東大寺大仏殿再建のための寄付を広く集める旅に出ました。寄付はある程度集まったのですが、大仏殿再建は国家的プロジェクトであったためついに周防国(山口県南部)の税収をもって再建費用に充てる決定がなされます。というのも当時周防国は藤原行隆の知行国(国司の代わりに目代【代官】を派遣して支配する形態。平安末期に流行った)だったためです。

 源平合戦は源氏の勝利に終わり頼朝の鎌倉政権は全国に守護・地頭を設置し武家政権を樹立していました。当然周防にも守護・地頭を設置していた為朝廷と利害が衝突するはずでした。たださすがに東大寺再建のための造営領国とされては表立って反対もできません。時の周防守護佐々木高綱も重源に協力しました。

 朝廷は重源を周防国の事実上の国司(これを国司上人と呼ぶ)に任じ、集められた年貢はすべて東大寺大仏殿再建に充てられます。周防国は代々東大寺から派遣される国司上人が支配する国となりました。1209年ようやく東大寺大仏殿再建が成ります。これで現地の人々は周防国が造営領国から外れるかと思っていたところ、今度は山城国法勝寺の造営領国に充てられます。これが終わると再び東大寺が受領国となりました。寺院勢力は一度獲得した既得権益を手離すつもりはなかったのです。

 こうなるとさすがに周防の国人たちも激昂します。周防国は鎌倉時代を通して寺院勢力が支配する国でしたので守護の力が弱い国でした。そこで人々は、国衙(国府の役所)在庁官人のトップだった大内氏に不満を訴えます。大内氏は百済聖明王の子琳聖太子の子孫を称していましたが、周防に土着し周防権介(権官は定員外の官職という意味)を代々世襲する一族でした。国司制度は朝廷の支配が弱まったために地方に国司が派遣されなくなり、現地の有力者を国司の次官に任命し地方政治を代行させていたのです。

 鎌倉御家人の鎮西奉行・筑前守護武藤氏を大宰少弐(大宰府の三等官)に任命したのと同じです。ちなみに大宰少弐は従五位下相当であるのに対し、周防は上国なので介は従六位上で三段階ほど少弐の官位が上でした。

 在庁官人出身の豪族が勢力を拡大しついには国を支配するというケースは稀ですが、周防国が造営領国という形態だったために起こった特殊な例です。周防国は代々北条氏一門が守護となりますが、寺院勢力と対決したくないために直接支配を及ぼさなかったと思われます。周防の地頭たちは、大内氏を盟主に担ぎ上げ寺院勢力と対決します。大内氏は、在庁官人として朝廷に年貢を送る(実際には受領主の寺院に送る)役目と、現地の不満を調整する役目の矛盾に悩みますが、次第に後者に傾きます。というのも、寺院の横暴に自身も不満を抱いていた為です。

 その寺院支配を打破する絶好の機会が訪れました。鎌倉幕府の滅亡です。大内氏はいったいどのように動くのでしょうか?後編では大内氏の周防支配の完成、そして長門進出を描きます。
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